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		<title>グアムスタディツアー報告</title>
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	<dc:subject>第19回　グアムスタディツアー</dc:subject>		<summary type="text/html">	　グアム・ツアーから無事戻ってきましたので、簡単に報告します。詳しくは次号機関誌に参加者のみなさんからの報告として掲載予定です。
	　今回のツアーは、高里さんをはじめ、いろいろな方からの多大なご協力とアドバイスによって無事終えることができました。本当にありがとうございました。
	◆1月26日土曜日
　7時半に成田空港に集合し、グアムへ。飛行機からは原潜の母港だというアプラ港が見えます。
	　ホテルで自己紹介をした後、近くのレストランでチャモロ料理を、その後コーヒーを飲みながら、ホテルの会議室で高里さんのミニ・レクチャーを聞きました。
	沖縄の海兵隊のグアム移転のこと
　沖縄の8000人の海兵隊を、沖縄の負担軽減のために、グアムに移転させるというが、その移転費用を日本が負担すること、沖縄の負担軽減といいながら沖縄に新たに基地が建設されようとしていることについては、ほとんど問題にされていないし、なし崩し的に進められようとしている。十分な論議をしないままでよいのか。
	チャモロのこと
　チャモロには4000年の歴史があり、「イナホ・マウレク（living with
harmony）」ということを大切にしている。社会や友だちと仲良く生きていこうということで、沖縄の「ぬちどぅ宝」にあたることばだと思う。そのようなチャモロの人たちが先祖から受け継いだ土地が、侵略され、米国の基地や日本人向けの観光地になっている。今でも独立を求める運動が続いていて、土地の返還も求めているが、基地として使われた土地は汚染されているという。
　一方、チャモロの若者には軍に入る以外にほとんど仕事がない。多くのチャモロ人が家族や親戚の誰かが軍関係の仕事についているというねじれた問題を抱えている。
	などなど、お話をききました。
	◆1月27日日曜日
　今日はフィールド・トリップの日です。米軍基地やチャモロのことはチャモロ・ネイションの方が、日本占領中のことはガイドさんが説明してくださいました。島の3分の1が基地だということ、基地関連施設の建設が人々からは見えないところでどんどん進められているということが肌で感じられました。
　昼食は、チャモロ・ネイションのメンバーのご自宅で、チャモロ料理をごちそうになりました。
	◆1月28日月曜日
　午前中は日本占領時代の女性に対する暴力の話を聞きました。グアムでも、「慰安婦」にさせられたということを家族にも話せずに女性たちが亡くなっている、過去を乗り越えるためには補償が必要だということでした。
　午後はFuetsan Famalao&amp;#8217;an（女性の力）主催の公開フォーラムです。テーマは女性と人権。高里さんが基調講演を、4人の参加者が憲法９条、
「慰安婦」、札幌自衛官人権裁判などについて発表しました。立ち見が出るほどの大盛況でした。
　夕食はFuetsan Famalao&amp;#8217;anの関係者のご自宅で、首都ハガニアの夜景を前に星空のもと、チャモロ料理をごちそうになりました。
	◆1月29日火曜日
　出発時間までの自由時間、ダイビングをする人、パラセーリングをする人、滞在中に出会った人のお勧めの本を探しに行く人、27日のフィールドトリップで見学したInadahen Lina&amp;#8217;la&amp;#8217; I Kotturan Chamoru（チャモロアートセンター）のアーティストのお店に行く人など、思い思いに過ごしました。
	　グアムでも、基地のことは、一部の活動家だけが取り組んでいる、多くの人にとっては触れてはいけないものになってしまっているそうです。今回、グアム大学での公開フォーラム、新聞取材、ラジオ出演と露出度が高くなりましたが、チャモロ・ネイションの方たちが、私たちの訪問を、少しでも多くの人に基地のことを考えて行動してもらうきっかけにしたいと思ったから。いろいろなところで、ラジオを聴いたよ、と声をかけられました。彼ら／彼女らが、基地のことを自分の問題として考えてくれたのならうれしいのですが。そして、私たちも、自分のこととして考えて行動しなくては、と思いを新たにして帰ってきました。
	　東京でのツアー報告会では参加者の撮って来たビデオも上映する予定です。札幌でも開催予定です。ぜひ聞きにきてください。

 </summary>
		<content type="text/html" mode="escaped" xml:base="http://www.ajwrc.org/modules/wordpress/index.php?p=20"><![CDATA[	&lt;p&gt;　グアム・ツアーから無事戻ってきましたので、簡単に報告します。詳しくは次号機関誌に参加者のみなさんからの報告として掲載予定です。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;　今回のツアーは、高里さんをはじめ、いろいろな方からの多大なご協力とアドバイスによって無事終えることができました。本当にありがとうございました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆1月26日土曜日&lt;br /&gt;
　7時半に成田空港に集合し、グアムへ。飛行機からは原潜の母港だというアプラ港が見えます。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;　ホテルで自己紹介をした後、近くのレストランでチャモロ料理を、その後コーヒーを飲みながら、ホテルの会議室で高里さんのミニ・レクチャーを聞きました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;沖縄の海兵隊のグアム移転のこと&lt;br /&gt;
　沖縄の8000人の海兵隊を、沖縄の負担軽減のために、グアムに移転させるというが、その移転費用を日本が負担すること、沖縄の負担軽減といいながら沖縄に新たに基地が建設されようとしていることについては、ほとんど問題にされていないし、なし崩し的に進められようとしている。十分な論議をしないままでよいのか。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;チャモロのこと&lt;br /&gt;
　チャモロには4000年の歴史があり、「イナホ・マウレク（living with&lt;br /&gt;
harmony）」ということを大切にしている。社会や友だちと仲良く生きていこうということで、沖縄の「ぬちどぅ宝」にあたることばだと思う。そのようなチャモロの人たちが先祖から受け継いだ土地が、侵略され、米国の基地や日本人向けの観光地になっている。今でも独立を求める運動が続いていて、土地の返還も求めているが、基地として使われた土地は汚染されているという。&lt;br /&gt;
　一方、チャモロの若者には軍に入る以外にほとんど仕事がない。多くのチャモロ人が家族や親戚の誰かが軍関係の仕事についているというねじれた問題を抱えている。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;などなど、お話をききました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆1月27日日曜日&lt;br /&gt;
　今日はフィールド・トリップの日です。米軍基地やチャモロのことはチャモロ・ネイションの方が、日本占領中のことはガイドさんが説明してくださいました。島の3分の1が基地だということ、基地関連施設の建設が人々からは見えないところでどんどん進められているということが肌で感じられました。&lt;br /&gt;
　昼食は、チャモロ・ネイションのメンバーのご自宅で、チャモロ料理をごちそうになりました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆1月28日月曜日&lt;br /&gt;
　午前中は日本占領時代の女性に対する暴力の話を聞きました。グアムでも、「慰安婦」にさせられたということを家族にも話せずに女性たちが亡くなっている、過去を乗り越えるためには補償が必要だということでした。&lt;br /&gt;
　午後はFuetsan Famalao&amp;#8217;an（女性の力）主催の公開フォーラムです。テーマは女性と人権。高里さんが基調講演を、4人の参加者が憲法９条、&lt;br /&gt;
「慰安婦」、札幌自衛官人権裁判などについて発表しました。立ち見が出るほどの大盛況でした。&lt;br /&gt;
　夕食はFuetsan Famalao&amp;#8217;anの関係者のご自宅で、首都ハガニアの夜景を前に星空のもと、チャモロ料理をごちそうになりました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆1月29日火曜日&lt;br /&gt;
　出発時間までの自由時間、ダイビングをする人、パラセーリングをする人、滞在中に出会った人のお勧めの本を探しに行く人、27日のフィールドトリップで見学したInadahen Lina&amp;#8217;la&amp;#8217; I Kotturan Chamoru（チャモロアートセンター）のアーティストのお店に行く人など、思い思いに過ごしました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;　グアムでも、基地のことは、一部の活動家だけが取り組んでいる、多くの人にとっては触れてはいけないものになってしまっているそうです。今回、グアム大学での公開フォーラム、新聞取材、ラジオ出演と露出度が高くなりましたが、チャモロ・ネイションの方たちが、私たちの訪問を、少しでも多くの人に基地のことを考えて行動してもらうきっかけにしたいと思ったから。いろいろなところで、ラジオを聴いたよ、と声をかけられました。彼ら／彼女らが、基地のことを自分の問題として考えてくれたのならうれしいのですが。そして、私たちも、自分のこととして考えて行動しなくては、と思いを新たにして帰ってきました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;　東京でのツアー報告会では参加者の撮って来たビデオも上映する予定です。札幌でも開催予定です。ぜひ聞きにきてください。
&lt;/p&gt;
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	  	<author>
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		<title>パキスタンスタディツアー報告</title>
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	<dc:subject>第18回　パキスタンスタディツアー</dc:subject>		<summary type="text/html">	パキスタン・スタディツアーから無事戻ってきましたので、簡単に報告します。詳しくは5月の機関誌に参加者のみなさんからの報告として掲載予定です。
	今回のツアーは、いろいろな方からの多大なご協力とアドバイスによって無事終えることができました。本当にありがとうございました。
	◆2月10日土曜日
−督永忠子さん（日パウェルフェア・アソシエーション）
1981年にパキスタンに移住して以来、旅行会社を経営するかたわら、アフガン難民支援やパキスタン最北部での女性の自立支援プログラムをされてきました。
パキスタン人の夫との離婚後、親権獲得のためにたたかってきた裁判の経験、25年にわたるパキスタンでの暮らしから、イスラム（法）がパキスタンの女性に及ぼす影響についてお伺いしました。
子どもを日本で育てるかパキスタンで育てるかという話から始まり、情報や選択肢はないかもしれないが守られたなかで決められた生き方をする方が幸せか、失敗したとしても自分で選択する自由があるほうが幸せか、で白熱した議論となりました。
	◆2月11日日曜日
イスラマバードからラホールに移動して、この日からはパキスタンの女性団体の訪問です。
	−シルカット・ガー
女性に差別的な法の改正を求めて政策提言を行ってきた団体です。
代表のファリダ・シャヒードさんにお話を伺いました。
イギリス植民地時代から始まったパキスタンの女性運動の歴史、婚外交渉が国家に対する犯罪とされ、また無罪であることを証明するために4人の男性による証言が必要であるためにレイプのサバイバーが犯罪者とされてしまうハドゥード法の問題点や法改正をめぐる動きについてお話を聞きました。
	−The Pakistan-India Peoples Forum for Peace and Democracy
印パ間の平和を、市民同士の対話を積み重ねることで実現したいと考えた両国の市民が集まり1994年に設立されました。
	−パキスタン・インド国境閉門式
パキスタン、インドの国境線で唯一陸路での通行が可能な国境の町ワガに行きました。ここでは毎夕、国境をはさんで国旗を降納するセレモニーが行われ、パキスタン側、インド側ともに大勢の観光客が訪れます。観客を煽る役割の男性のかけ声に合わせて両国の観客が自国を称える歓声を何度も何度もあげるなか、国境警備隊が威圧的な態度で競い合います。
The Pakistan-India Peoples Forumの方はこのような愛国心を煽るようなセレモニーは即刻やめるべきだとおっしゃっていました。このような意見は少数派だが、インドとパキスタンは分かれるべきではなかったともおっしゃっていました。
インド側の観客席は男女ともいっしょでしたが、パキスタン側は地元の男性、地元の女性、外国人男性、外国人女性と席がわかれていました。そして男性は基本的に立って見ているのですが、女性側は写真撮影のためにみんなが席を立つたびに警備兵に座るように言われました。
	◆2月12日月曜日
−オーラット・ファウンデーション
情報提供、政策提言を行えるよう市民社会を強める、アファーマティブアクションが執行されるように政策提言を行うの3つを柱として活動しているパキスタンでもっとも大きな団体の1つです。
村レベルから国政レベルまで幅広く活動しているそうですが、特に村レベルでは女性に関する情報を農村地帯の女性に伝えるためにラジオ番組を活用したり、村に情報センターを設置したりしているそうです。また、地域レベルの議会の女性議員（全議席の33％が女性に割り当てられている）にトレーニングも提供しているそうです。
	−ラホール女性学研究所
この日は偶然にも24年前にラホールの女性たちが軍事政権に反対をして行動を起こしたまさにその日で、それを祝うパーティの準備に忙しいなか時間をつくって会ってくださいました。
フェミニズム、世俗主義、反軍事主義、平和、マイノリティの5つを柱として活動するなか、現在はとくにマイノリティの権利、平和、女性の土地に対する権利、未婚女性に対する女性の家族からの暴力の4つのプログラムに力を入れているそうです。
草の根レベルで活動するフィールドコーディネーターがおり、出身の村で地元の人々と協力してプログラムを行っています。女性に関して何か問題が起こったときには、彼女たちが中心となって地元の政府当局やメディアに働きかけをするそうです。
カシミール問題にも取り組んでいて、紛争下で女性が受けた暴力の事実を明らかにするとともに、現地の女性のリーダーシップのもと住民同士の話し合いを通じて平和を実現するための活動も行っているそうです。
	−AGHS
女性、子ども、債務労働者のみを対象に、パンジャブ地方で唯一無料で法律相談を提供している弁護士事務所。
暴力を受けた女性のシェルター運営も行っています。民間で運営されているシェルターとしては唯一のもので、政府のシェルターとのもっとも大きな違いは、女性たちが自由にシェルターの外に出られることです。政府のシェルターでは女性は保護されるものとされていて、自分の力で弁護士事務所に相談に行ったり仕事を探したりして人生を切り開く機会は与えられないのだそうです。
女性が親の意思に背いて自分で結婚相手を選んだり、夫以外の男性と親しくなったり、夫と離婚しようとした場合に、父親や兄弟や夫が「一族の名誉」を守るために女性を殺す「名誉殺人」についての事実を記録した本も出版しています。ちなみに、昨年の「名誉殺人」の件数は前年度の2倍なのだそうです。
	◆2月13日火曜日
−シームルグ女性資料センター
宗教原理主義が台頭するパキスタンにおいて女性に関する問題に取り組むなか、運動のためには情報の共有が重要だとの認識から設立された団体。
すべての問題は互いに関連しているとの認識から女性に関する様々な分野に取り組んでいます。レイプのサバイバーに自らの経験を語ってもらう調査をパキスタンで初めて行ったり、パキスタン軍によるバングラデシュの女性に対する暴力の事実を明らかにしたり、またスタッフに教師が多いため子どもたちに基本的人権やジェンダーについて教える教材開発も行っているそうです。
	−Cathe Foundation、エイズ予防協会、APACHAパキスタンなど
「セックスワーカー」が多く働くヒーラーマンディ地区において、HIVへの感染予防、感染者のケアのために働く団体のみなさんにお話を伺いました。
ヒーラーマンディ地区は、もともとはムガール王朝時代の楽士のコミュニティでしたが、今はラホール周辺の村やアフガン難民キャンプからも女性がやってくるそうです。
また、パキスタンで公式に登録されているHIVの感染者はそれ程多くはありませんが、実際のところは明らかではありませんし、増加傾向にもあります。そのためHIVに関する情報の提供、コンドームの配布、クリニックの運営などを行っているそうです。
参加者の何人かは「セックスワーカー」が働く現場も見せていただきました。
	2月14日はラホールでムガール王朝時代の城を見学、15日はイスラマバード近郊のタキシラで紀元前の都市遺跡や紀元前後の仏教遺跡を見学し、歴史の長さを感じました。
	今回のツアーでは、軍事政権下、宗教保守派が台頭するなか、女性に関するオルタナティブな情報を提供、共有しようと活動する団体を多く訪れました。彼女たちが発行する貴重な資料をたくさん持って帰ってきましたので、ぜひセンターまで読みにきてください（残念ながら日本語ではありませんが）。
また、お二人の参加者がビデオを撮影してくださいました。早いうちにツアー報告会を開ければと思っていますので、楽しみにお待ちください。
 </summary>
		<content type="text/html" mode="escaped" xml:base="http://www.ajwrc.org/modules/wordpress/index.php?p=19"><![CDATA[	&lt;p&gt;パキスタン・スタディツアーから無事戻ってきましたので、簡単に報告します。詳しくは5月の機関誌に参加者のみなさんからの報告として掲載予定です。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;今回のツアーは、いろいろな方からの多大なご協力とアドバイスによって無事終えることができました。本当にありがとうございました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆2月10日土曜日&lt;br /&gt;
−督永忠子さん（日パウェルフェア・アソシエーション）&lt;br /&gt;
1981年にパキスタンに移住して以来、旅行会社を経営するかたわら、アフガン難民支援やパキスタン最北部での女性の自立支援プログラムをされてきました。&lt;br /&gt;
パキスタン人の夫との離婚後、親権獲得のためにたたかってきた裁判の経験、25年にわたるパキスタンでの暮らしから、イスラム（法）がパキスタンの女性に及ぼす影響についてお伺いしました。&lt;br /&gt;
子どもを日本で育てるかパキスタンで育てるかという話から始まり、情報や選択肢はないかもしれないが守られたなかで決められた生き方をする方が幸せか、失敗したとしても自分で選択する自由があるほうが幸せか、で白熱した議論となりました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆2月11日日曜日&lt;br /&gt;
イスラマバードからラホールに移動して、この日からはパキスタンの女性団体の訪問です。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−シルカット・ガー&lt;br /&gt;
女性に差別的な法の改正を求めて政策提言を行ってきた団体です。&lt;br /&gt;
代表のファリダ・シャヒードさんにお話を伺いました。&lt;br /&gt;
イギリス植民地時代から始まったパキスタンの女性運動の歴史、婚外交渉が国家に対する犯罪とされ、また無罪であることを証明するために4人の男性による証言が必要であるためにレイプのサバイバーが犯罪者とされてしまうハドゥード法の問題点や法改正をめぐる動きについてお話を聞きました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−The Pakistan-India Peoples Forum for Peace and Democracy&lt;br /&gt;
印パ間の平和を、市民同士の対話を積み重ねることで実現したいと考えた両国の市民が集まり1994年に設立されました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−パキスタン・インド国境閉門式&lt;br /&gt;
パキスタン、インドの国境線で唯一陸路での通行が可能な国境の町ワガに行きました。ここでは毎夕、国境をはさんで国旗を降納するセレモニーが行われ、パキスタン側、インド側ともに大勢の観光客が訪れます。観客を煽る役割の男性のかけ声に合わせて両国の観客が自国を称える歓声を何度も何度もあげるなか、国境警備隊が威圧的な態度で競い合います。&lt;br /&gt;
The Pakistan-India Peoples Forumの方はこのような愛国心を煽るようなセレモニーは即刻やめるべきだとおっしゃっていました。このような意見は少数派だが、インドとパキスタンは分かれるべきではなかったともおっしゃっていました。&lt;br /&gt;
インド側の観客席は男女ともいっしょでしたが、パキスタン側は地元の男性、地元の女性、外国人男性、外国人女性と席がわかれていました。そして男性は基本的に立って見ているのですが、女性側は写真撮影のためにみんなが席を立つたびに警備兵に座るように言われました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆2月12日月曜日&lt;br /&gt;
−オーラット・ファウンデーション&lt;br /&gt;
情報提供、政策提言を行えるよう市民社会を強める、アファーマティブアクションが執行されるように政策提言を行うの3つを柱として活動しているパキスタンでもっとも大きな団体の1つです。&lt;br /&gt;
村レベルから国政レベルまで幅広く活動しているそうですが、特に村レベルでは女性に関する情報を農村地帯の女性に伝えるためにラジオ番組を活用したり、村に情報センターを設置したりしているそうです。また、地域レベルの議会の女性議員（全議席の33％が女性に割り当てられている）にトレーニングも提供しているそうです。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−ラホール女性学研究所&lt;br /&gt;
この日は偶然にも24年前にラホールの女性たちが軍事政権に反対をして行動を起こしたまさにその日で、それを祝うパーティの準備に忙しいなか時間をつくって会ってくださいました。&lt;br /&gt;
フェミニズム、世俗主義、反軍事主義、平和、マイノリティの5つを柱として活動するなか、現在はとくにマイノリティの権利、平和、女性の土地に対する権利、未婚女性に対する女性の家族からの暴力の4つのプログラムに力を入れているそうです。&lt;br /&gt;
草の根レベルで活動するフィールドコーディネーターがおり、出身の村で地元の人々と協力してプログラムを行っています。女性に関して何か問題が起こったときには、彼女たちが中心となって地元の政府当局やメディアに働きかけをするそうです。&lt;br /&gt;
カシミール問題にも取り組んでいて、紛争下で女性が受けた暴力の事実を明らかにするとともに、現地の女性のリーダーシップのもと住民同士の話し合いを通じて平和を実現するための活動も行っているそうです。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−AGHS&lt;br /&gt;
女性、子ども、債務労働者のみを対象に、パンジャブ地方で唯一無料で法律相談を提供している弁護士事務所。&lt;br /&gt;
暴力を受けた女性のシェルター運営も行っています。民間で運営されているシェルターとしては唯一のもので、政府のシェルターとのもっとも大きな違いは、女性たちが自由にシェルターの外に出られることです。政府のシェルターでは女性は保護されるものとされていて、自分の力で弁護士事務所に相談に行ったり仕事を探したりして人生を切り開く機会は与えられないのだそうです。&lt;br /&gt;
女性が親の意思に背いて自分で結婚相手を選んだり、夫以外の男性と親しくなったり、夫と離婚しようとした場合に、父親や兄弟や夫が「一族の名誉」を守るために女性を殺す「名誉殺人」についての事実を記録した本も出版しています。ちなみに、昨年の「名誉殺人」の件数は前年度の2倍なのだそうです。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆2月13日火曜日&lt;br /&gt;
−シームルグ女性資料センター&lt;br /&gt;
宗教原理主義が台頭するパキスタンにおいて女性に関する問題に取り組むなか、運動のためには情報の共有が重要だとの認識から設立された団体。&lt;br /&gt;
すべての問題は互いに関連しているとの認識から女性に関する様々な分野に取り組んでいます。レイプのサバイバーに自らの経験を語ってもらう調査をパキスタンで初めて行ったり、パキスタン軍によるバングラデシュの女性に対する暴力の事実を明らかにしたり、またスタッフに教師が多いため子どもたちに基本的人権やジェンダーについて教える教材開発も行っているそうです。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−Cathe Foundation、エイズ予防協会、APACHAパキスタンなど&lt;br /&gt;
「セックスワーカー」が多く働くヒーラーマンディ地区において、HIVへの感染予防、感染者のケアのために働く団体のみなさんにお話を伺いました。&lt;br /&gt;
ヒーラーマンディ地区は、もともとはムガール王朝時代の楽士のコミュニティでしたが、今はラホール周辺の村やアフガン難民キャンプからも女性がやってくるそうです。&lt;br /&gt;
また、パキスタンで公式に登録されているHIVの感染者はそれ程多くはありませんが、実際のところは明らかではありませんし、増加傾向にもあります。そのためHIVに関する情報の提供、コンドームの配布、クリニックの運営などを行っているそうです。&lt;br /&gt;
参加者の何人かは「セックスワーカー」が働く現場も見せていただきました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;2月14日はラホールでムガール王朝時代の城を見学、15日はイスラマバード近郊のタキシラで紀元前の都市遺跡や紀元前後の仏教遺跡を見学し、歴史の長さを感じました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;今回のツアーでは、軍事政権下、宗教保守派が台頭するなか、女性に関するオルタナティブな情報を提供、共有しようと活動する団体を多く訪れました。彼女たちが発行する貴重な資料をたくさん持って帰ってきましたので、ぜひセンターまで読みにきてください（残念ながら日本語ではありませんが）。&lt;br /&gt;
また、お二人の参加者がビデオを撮影してくださいました。早いうちにツアー報告会を開ければと思っていますので、楽しみにお待ちください。&lt;/p&gt;
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	  	<author>
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		<title>北コリアツアー報告</title>
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	<dc:subject>第17回　北コリアスタディツアー</dc:subject>		<summary type="text/html">	北コリアスタディツアーから無事戻ってきましたので、簡単に報告します。
	今回のツアーは、いろいろな方からの多大なご協力とアドバイスによって無事終えることができました。本当にありがとうございました。
	◆8月5日（土）
朝6時20分という朝早い時間でしたが、誰1人遅れることなく羽田に集合しました。
途中、関空からの参加者になかなか会えなかったり、お酒を機内持ち込みできない中国でセキュリティチェックにひっかかったりと、小さなトラブルはありましたが、無事瀋陽でビザを受け取り、平壌に向けて高麗航空に乗ることができました。
機内では、手作り感あふれる高麗航空のうちわを片手に、機内で配られる冊子を眺める人、早速ビールに挑戦する人と思い思いに過ごし、1時間程で平壌順安国際空港に到着しました。
少し厳しい入国審査の後、携帯電話を空港に預け、無事今回の受入先である対文協の3人にお会いすることができました。
バスの中で、「基本的にはどこを撮影してもよいが、軍事施設、相手が嫌がっているときは遠慮してほしい、自分たちだけでホテルの外には出ないでほしい」などの注意を受け、平壌高麗ホテルにチェックインしました。
	◆8月6日（日）
この日は片道約2時間をかけて板門店に行き、高麗の都、開城の民俗旅館で昼ごはんを食べて帰ってきました。
道すがら、北コリアでは1946年に農地解放が行われ現在は共同農場で生産をしていること、国を挙げて農業に集中する年で春秋の農繁期には対文協のスタッフだけでなく、学生や人民軍も農業に従事するという話をききました。
	−板門店
朝鮮人民軍板門店代表部参謀中佐の李さんの案内で、朝鮮戦争の停戦協定調印式場、軍事停戦委員会会議場、停戦ラインである軍事境界線などを見学しました。
最後に李さんから「南北統一するためにはどうしたらいいでしょうか」という宿題をもらいました。
	−祖国統一三大憲章記念塔
帰りに平壌市統一道入口の「祖国統一三大憲章記念塔」を見学しました。
三大憲章というのは、
１．統一のための三大原則（1972年「7.4南北共同声明」）
自主、平和、民族大団結の三大原則に基づき祖国を統一する。
２．高麗民主連邦共和国創設方案（1980年朝鮮労働党大会で主席が提示）
　北と南は、現存する二つの制度をそのままにして統一し、外交、国防のみを1つの政府として行う。
３．全人民団結のための10の綱領（1993年主席が提示）
の3つだそうです。
	夜はお食事会でした。帰ったら自分の目で見たことを伝えてほしい、また日本のメディアの権力追従、日本の一部の勢力が戦争を引き起こす準備を進めていることは容認できない、見解や方法論は違うかもしれないが平和のために共に行動していきたいというお話がありました。その後、ミサイル発射について少し意見交換もすることができました。
	8月7日（月）
朝7時から対文協の方の案内で、平壌の人たちがバスやトロリーバスで忙しそうに職場に向かうなか、のんびり平壌駅周辺を散歩しました。
	−朝鮮革命博物館
1860年代から1945年までの日本の蛮行について学びました。
	−日本軍慰安婦の証言
金英淑（きむよんしく）さん、郭金女（くぁくぐむにょ）さんの証言を聞き、昼食をごいっしょしました。
「日本人は見るのもいやだし、おみやげをいただいたがありがとうとも言いたくない、これまで何人かの人が証言を聞きに来てくれたがまだ何の補償もされていない、多くの友人が殺されたのがくやしい、日本に行って日本の人民の前で訴えたいが日本は入国させてくれない」ということばが印象に残りました。
	−平壌産院
女性のための総合医療機関。慰安婦のハルモニの診察もしたそうです。
	−平壌9.15週託児所
幼稚園に行く前の子どもたちを月曜から週末まで通して預かっています。
	−平壌サーカス劇場
空中ブランコにドキドキしました。
	8月8日（火）
この日も朝7時から大同江まで散歩に連れて行ってもらいました。途中、マンションの前を通り、平壌の人たちの生活を垣間見ることができました。
	−強制連行被害者、被爆者の証言
強制連行被害者である全竜福（ちょんりょんぽく）さん、ナガサキで2歳のときに被爆された朴文淑（ぱくむんしく）さんのお話をききました。
「連行されただけでも腹立たしいのに日本政府は何の対策も講じていない、多くの人が謝罪と補償を受け取ってくれと言って息を引き取る、日本は唯一の被爆国として反核・平和を求める国になるべきなのに軍国主義に向かっているのは被爆者への蹂躙だ」ということばが印象に残っています。
	−祖国解放勝利記念館
朝鮮戦争時に米軍がはたらいた蛮行について学びました。朝鮮戦争時に人民軍が撃墜した米軍の飛行機が何機も展示してありました。
	−刺繍研究所
金日成さんの妻、金正淑さんが設立したという研究所を見学しました。400人のスタッフが刺繍製品と技術の国内外への普及、刺繍制作に従事しているそうです。
	−平壌地下鉄
（核シェルターを兼ねているという）平壌地下鉄の千里馬線復興駅から栄光駅までの一駅間を車両一台貸切ではありましたが乗せてもらいました。150メートルもあるエスカレーターで深さ100メートルまで一気にもぐりました（ちなみに東京の地下鉄は深くても約30メートル）。復興駅と栄光駅は照明、壁面ともに豪華でした。ちなみに1973年に千里馬線、1978年に革新線が開通、総距離は40?だそ
うです。
	夜は再び食事会をしました。食後に、朴永心（ぱくよんしむ）さんが前日の朝に亡くなられたという悲しい報告を受けました。
	8月9日（水）
今日も朝から散歩に連れて行ってもらったようです。3日も続けて散歩をしたいと言った団体はこれまでなかったとのことで驚かれました。早く対文協の方を煩わせずに散歩ができるようになるといいのですが。
	10時半にホテルを出発し、空港で携帯電話を返してもらい帰路につきました。途中、またもやお酒のことでひっかかったり、飛行機が被雷して1時間遅れになったりということはありましたが、無事夜の10時半に羽田に到着しました。
	もっと詳しい報告は参加者のみなさんがしてくださると思います。楽しみにしていてください。
今回のツアーでは、慰安婦、強制連行、原爆の被害者の方々が毎年のように亡くなっていて謝罪、補償が急務であること、軍国主義に向かっている日本で私たちの運動がまだまだ足りないということを率直に指摘されました。また、なかなか会う機会のない国の人だけに、話す内容に制限はあるにしろ、実際に会ってお話をする機会をもつことは大切だと改めて感じました。
ツアー中にこれからどう運動していこうかという話もいろいろしたので、それを形にしていきたいと思います。

 </summary>
		<content type="text/html" mode="escaped" xml:base="http://www.ajwrc.org/modules/wordpress/index.php?p=18"><![CDATA[	&lt;p&gt;北コリアスタディツアーから無事戻ってきましたので、簡単に報告します。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;今回のツアーは、いろいろな方からの多大なご協力とアドバイスによって無事終えることができました。本当にありがとうございました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆8月5日（土）&lt;br /&gt;
朝6時20分という朝早い時間でしたが、誰1人遅れることなく羽田に集合しました。&lt;br /&gt;
途中、関空からの参加者になかなか会えなかったり、お酒を機内持ち込みできない中国でセキュリティチェックにひっかかったりと、小さなトラブルはありましたが、無事瀋陽でビザを受け取り、平壌に向けて高麗航空に乗ることができました。&lt;br /&gt;
機内では、手作り感あふれる高麗航空のうちわを片手に、機内で配られる冊子を眺める人、早速ビールに挑戦する人と思い思いに過ごし、1時間程で平壌順安国際空港に到着しました。&lt;br /&gt;
少し厳しい入国審査の後、携帯電話を空港に預け、無事今回の受入先である対文協の3人にお会いすることができました。&lt;br /&gt;
バスの中で、「基本的にはどこを撮影してもよいが、軍事施設、相手が嫌がっているときは遠慮してほしい、自分たちだけでホテルの外には出ないでほしい」などの注意を受け、平壌高麗ホテルにチェックインしました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆8月6日（日）&lt;br /&gt;
この日は片道約2時間をかけて板門店に行き、高麗の都、開城の民俗旅館で昼ごはんを食べて帰ってきました。&lt;br /&gt;
道すがら、北コリアでは1946年に農地解放が行われ現在は共同農場で生産をしていること、国を挙げて農業に集中する年で春秋の農繁期には対文協のスタッフだけでなく、学生や人民軍も農業に従事するという話をききました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−板門店&lt;br /&gt;
朝鮮人民軍板門店代表部参謀中佐の李さんの案内で、朝鮮戦争の停戦協定調印式場、軍事停戦委員会会議場、停戦ラインである軍事境界線などを見学しました。&lt;br /&gt;
最後に李さんから「南北統一するためにはどうしたらいいでしょうか」という宿題をもらいました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−祖国統一三大憲章記念塔&lt;br /&gt;
帰りに平壌市統一道入口の「祖国統一三大憲章記念塔」を見学しました。&lt;br /&gt;
三大憲章というのは、&lt;br /&gt;
１．統一のための三大原則（1972年「7.4南北共同声明」）&lt;br /&gt;
自主、平和、民族大団結の三大原則に基づき祖国を統一する。&lt;br /&gt;
２．高麗民主連邦共和国創設方案（1980年朝鮮労働党大会で主席が提示）&lt;br /&gt;
　北と南は、現存する二つの制度をそのままにして統一し、外交、国防のみを1つの政府として行う。&lt;br /&gt;
３．全人民団結のための10の綱領（1993年主席が提示）&lt;br /&gt;
の3つだそうです。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;夜はお食事会でした。帰ったら自分の目で見たことを伝えてほしい、また日本のメディアの権力追従、日本の一部の勢力が戦争を引き起こす準備を進めていることは容認できない、見解や方法論は違うかもしれないが平和のために共に行動していきたいというお話がありました。その後、ミサイル発射について少し意見交換もすることができました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;8月7日（月）&lt;br /&gt;
朝7時から対文協の方の案内で、平壌の人たちがバスやトロリーバスで忙しそうに職場に向かうなか、のんびり平壌駅周辺を散歩しました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−朝鮮革命博物館&lt;br /&gt;
1860年代から1945年までの日本の蛮行について学びました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−日本軍慰安婦の証言&lt;br /&gt;
金英淑（きむよんしく）さん、郭金女（くぁくぐむにょ）さんの証言を聞き、昼食をごいっしょしました。&lt;br /&gt;
「日本人は見るのもいやだし、おみやげをいただいたがありがとうとも言いたくない、これまで何人かの人が証言を聞きに来てくれたがまだ何の補償もされていない、多くの友人が殺されたのがくやしい、日本に行って日本の人民の前で訴えたいが日本は入国させてくれない」ということばが印象に残りました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−平壌産院&lt;br /&gt;
女性のための総合医療機関。慰安婦のハルモニの診察もしたそうです。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−平壌9.15週託児所&lt;br /&gt;
幼稚園に行く前の子どもたちを月曜から週末まで通して預かっています。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−平壌サーカス劇場&lt;br /&gt;
空中ブランコにドキドキしました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;8月8日（火）&lt;br /&gt;
この日も朝7時から大同江まで散歩に連れて行ってもらいました。途中、マンションの前を通り、平壌の人たちの生活を垣間見ることができました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−強制連行被害者、被爆者の証言&lt;br /&gt;
強制連行被害者である全竜福（ちょんりょんぽく）さん、ナガサキで2歳のときに被爆された朴文淑（ぱくむんしく）さんのお話をききました。&lt;br /&gt;
「連行されただけでも腹立たしいのに日本政府は何の対策も講じていない、多くの人が謝罪と補償を受け取ってくれと言って息を引き取る、日本は唯一の被爆国として反核・平和を求める国になるべきなのに軍国主義に向かっているのは被爆者への蹂躙だ」ということばが印象に残っています。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−祖国解放勝利記念館&lt;br /&gt;
朝鮮戦争時に米軍がはたらいた蛮行について学びました。朝鮮戦争時に人民軍が撃墜した米軍の飛行機が何機も展示してありました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−刺繍研究所&lt;br /&gt;
金日成さんの妻、金正淑さんが設立したという研究所を見学しました。400人のスタッフが刺繍製品と技術の国内外への普及、刺繍制作に従事しているそうです。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−平壌地下鉄&lt;br /&gt;
（核シェルターを兼ねているという）平壌地下鉄の千里馬線復興駅から栄光駅までの一駅間を車両一台貸切ではありましたが乗せてもらいました。150メートルもあるエスカレーターで深さ100メートルまで一気にもぐりました（ちなみに東京の地下鉄は深くても約30メートル）。復興駅と栄光駅は照明、壁面ともに豪華でした。ちなみに1973年に千里馬線、1978年に革新線が開通、総距離は40?だそ&lt;br /&gt;
うです。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;夜は再び食事会をしました。食後に、朴永心（ぱくよんしむ）さんが前日の朝に亡くなられたという悲しい報告を受けました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;8月9日（水）&lt;br /&gt;
今日も朝から散歩に連れて行ってもらったようです。3日も続けて散歩をしたいと言った団体はこれまでなかったとのことで驚かれました。早く対文協の方を煩わせずに散歩ができるようになるといいのですが。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;10時半にホテルを出発し、空港で携帯電話を返してもらい帰路につきました。途中、またもやお酒のことでひっかかったり、飛行機が被雷して1時間遅れになったりということはありましたが、無事夜の10時半に羽田に到着しました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;もっと詳しい報告は参加者のみなさんがしてくださると思います。楽しみにしていてください。&lt;br /&gt;
今回のツアーでは、慰安婦、強制連行、原爆の被害者の方々が毎年のように亡くなっていて謝罪、補償が急務であること、軍国主義に向かっている日本で私たちの運動がまだまだ足りないということを率直に指摘されました。また、なかなか会う機会のない国の人だけに、話す内容に制限はあるにしろ、実際に会ってお話をする機会をもつことは大切だと改めて感じました。&lt;br /&gt;
ツアー中にこれからどう運動していこうかという話もいろいろしたので、それを形にしていきたいと思います。
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	  	<author>
			<name>admin</name>
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		<title>ベイエリアツアー報告</title>
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		<modified>2006-03-07T15:51:06Z</modified>
		<issued>2006-03-07T15:51:06Z</issued>
		
	<dc:subject>第16回　北米ベイエリアスタディツアー</dc:subject>		<summary type="text/html">	会員のみなさま
	北米ベイエリアスタディツアーから戻ってきました。
簡単に報告します（いつも簡単に書こうと思って長くなってしまいます。暇なときに読んでくださると嬉しいです）。参加者のみなさんからも是非是非、感想やコメントなどありましたらこのML上で共有していただけると嬉しいです！詳しい報告は次号機関誌に参加者みなさんの言葉で書いていただける予定です。ご期待くださいね。
	今回のツアーはベイエリア在住のアジア女性資料センターの会員、金美穂さんの多大なご協力とアドバイスによってできあがりました。またアジア女性資料センターのロゴをデザインしてくれたホシノ・リナさん、Okinawa Peacefightersでも活動していて高里さんとも活動をしているハワイ出身の沖縄系アメリカ人のウェスリー上運天さん、ガブリエラネットの溝口展子さんにも大きな協力をいただきました。本当にありがとうございました。感謝しています。
	移動はすべて公共の交通機関で行い住民の生活の足を使うことで人々の暮らしを少し感じられました。15名を超える参加者が訪問先とのミーティングの時間に遅れないようにお互いのサポートのおかげで、電車やバスを乗り継ぎながら誰1人迷子になることなく怪我もなく無事に帰国できました。参加者のみなさん、どうもありがとうございました！
	◆2月25日土曜日
時差の関係で25日の夕方成田を出発したのに、サンフランシスコ国際空港に到着したのは同じ日25日の早朝というお得感。でも、アジア女性資料センターのツアーはそこでゆっくりなんてしていません。早速到着当日から活動家たちと交流が始まりました。
	−GABRIELA NETWORK
フィリピンの女性団体ガブリエラと連帯する全米組織。私たちはベイエリアのサンフランシスコやバークレー支部のメンバーと会いました。ちょうど、フィリピンでは戒厳令が出た直後。メンバーはみんな前日からフィリピン政府への働きかけや情報収集に忙しくしていたときに時間を作ってくださいました。
フィリピンの踊りを披露してくれたあと、アジア女性資料センター側から運営委員の中原さんから「国民基金」について、会員で参加者のホン・ユンシンさんから沖縄の基地問題についてお話したあと、フィリピンの人身売買や人権問題などについてガブリエラのほうからお話いただきました。フィリピンでは政治犯の数は年々少なくなっているという現実の裏側に、毎年多数の政治犯たちが殺されている現実があるということです。
「慰安婦」問題への女性たちの取り組み、基地問題などに関して、議論は「男性」が作ってきた法への適応や言葉で表現することの限界への挑戦、「国家」をどうとらえるのか、女性たちの連帯が「国家」を超えることが果たして可能なのか・・・というとても大事な議論が白熱しました。時間が足り中、私たちに多くの課題を投げかけられた交換会でした。
	−Asian Women’s United
特に事務所や恒常的な活動をしているわけではなく、アジア系アメリカ人女性のエンパワーを目的とした本の出版、ビデオの制作といったプロジェクトが立ち上がるたびに女性たちが集まって活動しているようです。私たちは創設者の1人、イレイン・キムさんのお宅にお邪魔したのですが、メンバーが集まって現在取り組んでいるビデオの試写をしている最中でした。1984年から2004年の間のハリウッドなどメディアの中でどのようにアジア系アメリカ人が描かれているかを取り上げたドキュメンタリービデオです。これは87年に制作された「Slaying the Dragon」というビデオの内容を新しくしたものです。当時メディアをアジア系アメリカ人の視点で分析した初めてのドキュメンタリービデオは私も一度見たことがありますが、非常に興味深いです。日本のメディアにおいて女性や民族、人種などの描かれ方についても考えさせられます。新しい作品が出来上がるのが楽しみですね。
	◆2月26日日曜日
この日はNGOの個別に訪問ではなく、公的なイベントへの参加となりました。午前中はバークレー駅から一駅はなれたアッシュビーという駅前で行われているフリーマーケットに行ってきました。カリフォルニア大学バークレー校などがあり有る意味で知識階級の住むバークレーの隣町にあるアッシュビーはアフリカ系アメリカ人コミュニティがあり、人種や経済レベルなどでコミュニティが完全に住み分けられている現実を少し感じられました。
	−The Day of Remembranceイベント
日本軍が真珠湾を攻撃した直後の2月、当時のアメリカ大統領ルーズベルトが発行した大統領令によりおよそ120,000人の日系アメリカ人が収容所に強制的に移されました。このことを忘れないでいるための1年に一度のイベントです。詩吟から始まったこのイベントは日本文化が色濃いもので、その理由として強制収用のため「文化」が剥奪されたためそれをも取り戻すことが目的としてあるということです。「文化」はときとして抑圧的になるので日本から参加した私はちょっと居心地の悪い気分にもなった場面もありますが、とにかくすさまじい体験・歴史を生き延びてくれてありがとう・・・と強く思いました。
このイベントが行われたのはジャパン・タウン。ここにあるデパートやホテルは近鉄が所有しているのですが最近売却されてしまったそうです。日系アメリカ人にとって非常に大切な意味のある場所が今後どうなるか気になります。
	−The Vagina Monologues
「あなたのバギナについて聞かせてください」というインタビューを元にかかれた朗読劇。この収益金は女性に対する暴力を根絶するために使われます。今年は特に「慰安婦」サバイバーたちへ収益金が使われ、朗読劇の中にもサバイバーの証言が含まれました。民族、人種、国籍、セクシュアリティ、年齢などさまざまなバックグラウンドを持つ女性たちの「語り」に、笑ったり、涙を流したりしながらの観劇でした。
	◆2月27日月曜日
この日は午前中にNGOを1つ訪問。午後は久々のフリーになりました。みんなでケーブルカーでフィッシャーマンズワーフに繰り出しました。
	−Asian Women’s Shelter
アジア系のDVサバイバーへのホットライン、シェルターサービスを提供しているとっても有名なNGOです。日本人スタッフ富田伸世さんとは北京世界女性会議以来の再会でした。またタイ人スタッフのジーさんのお2人から活動についてお話を聞きました。28言語でのサービスを含む充実した活動にも感動しましたが、徹底した組織内のスタッフ間の平等で公平な関係作りに感動しました。創設者であろうが、運営委員であろうが、教育を受けていようが、いわゆる“公的”な教育を受けていなくても、みんなが平等で、お給料も平等、トイレ掃除も平等だそうです。“公的”な教育でない、個々人の経験も含めてその人の知恵として尊重しあっています。事務所とシェルターが同じ建物の中にあり、助成金申請担当者などもちゃんと当事者サポートなどの現場をいつも感じられるようにしているということです。ヒエラルキーの無い社会を目指すために、自分たちの組織内部から改革をする大切さと徹底さに感激しました。
	◆2月28日火曜日
26日、27日と雨模様だった空も、28日からは持ち直し、電車、バス、徒歩での移動が楽になりました。
	−Women of Color Resource Center
60〜70年代に起こった公民権運動の中の女性の活動に端を発する団体です。経済的な正義を求めること、人種差別への反対、そしてアメリカの外交政策への批判的視点が貫かれています。とっても面白い取り組みは「反戦ファッションショー」。舞台には3つのステージがあり、１つは軍事化されたファッション、2つめは軍事化の中で女性が求められる姿のファッション（愛国的な人、従軍看護婦、軍事工場で働く労働者、性産業で働く女性たちなど）、そして3つめは平和ファッション。400人が入ることのできる会場は満員で入れない人もいたほど。現在製作中のビデオも見せてもらいました。これは「迷彩色」がどのように私たちの日常生活に入り込み、戦争が日常化しているのかということを描いたものです。できあがったら是非日本語にして日本でも紹介したい内容でした。
	−Asian Immigrant Women Advocates
23年間も続くアジア系移民の女性労働者たちのグループ。女性労働者たちがエンパワーして自らの権利を知りそれを勝ち取ることができるような教育プログラムが非常に充実しています。90年代にはウェディングドレスなどを作るメーカーの下請け縫製工場で働く女性労働者（主に中国系）たちが自らを組織して、全米的な運動を繰り広げました。その結果、下請工場で働く労働者たちの権利もメーカーが責任をとらなくてはならない法律が成立するために大きな影響力を果たしました。またホットラインも設立され、それまで解雇などを恐れて沈黙を強いられていた移民女性たちが匿名で電話ができるようになりました。コミュニティに根付いた活動をしていて、事務所があるオークランド周辺は主に縫製産業で働く中国系女性、サンノゼにも事務所がありハイテク産業の製造ラインで働くメキシコ系、ベトナム系、韓国系女性たちへの活動をしているとのことでした。日本でも移住労働者たちへのサポート、また今後FTAなどで看護・介護への移住労働が増えてくると考えられます。何かをしてあげるサービスではなく、コミュニティの組織化と労働者たちのエンパワメントによってお互いがサポートし合える土壌を作ることの大切さを学びました。
	−Generation Five
子どもに対する性暴力を5世代のうちに無くすことを目的としている団体です。これまでに暴力に取り組んできた女性たちの活動は法整備や加害者処罰の厳正化でした。シェルターやホットラインの充実など、それはそれで大変意味のあることですが、Generation Fiveはそのことで暴力が全く減っていないどころか増えている。ということは、違うアプローチの必要性、つまりコミュニティあり方、社会規範を変えていくことが暴力の根絶に必要だということで活動を始めました。本当はとっても長い時間をかけて行われるトレーニングの内容を2時間で大急ぎで概要を聞いたため、とっても濃密な講義を聴いた感じでした。Asian Women’s Shelterの日本人スタッフ富田さんがこの団体のトレーニングを受けて、もしかしたら日本にも紹介してもらえる日が近い将来あるかもしれません。楽しみです。
	◆3月1日水曜日
アジア女性資料センターや女たちの戦争と平和資料館のロゴをデザインしてくださったベイエリアの活動家、ホシノ・リナさんがこの日一日をコーディネートしてくださいました。リナさんのおかげで密度の濃い盛りだくさんの1日でした。
	−Mission Mural Walk
スペイン語を話すラテン系が多く住むミッションという地域には多くの壁画があります。政治的社会的なメッセージをアートを通してコミュニティに伝えます。メキシコの神話を元にしたもの、本を読んでインスピレーションを得たアーティストたちがネパールのこと、アフリカのAIDS問題のことなどを取り上げた絵もありました。もともと壁画アーティストは男性ばかり。女性はアシスタントでした。公民権運動、女性運動などの背景もあり1975年、女性たちの壁がアーティストたちのグループが生まれます。彼女たちが1975年に描いた歴史的な壁画も復元されて残っていました。
	−Mujeres Unidas y Activas
スペイン語で「女性活動家の連帯」という名称のこのグループは、メキシコからの移民女性労働者たちのためのグループ。自分たちの権利を知るワークショップ、ヘルスケアーワークショップのほか、病院の付き添いなどの仕事を得やすいように医療的なトレーニングもボランティアの医者や看護士たちが教えてくれるそうです。家事労働者が尊重されるようにキャンペーンも繰り広げています。現在は州の労働法で「労働」と認識されていない家事労働も含められるように請願書を提出したりする活動もしています。
	−Kearny Street Workshop
アジア系アメリカ人のアーティストたちが自分たちの表現の場を作り出すため活動していますが、もともとチャイナタウンにあったインターナショナルホテルで活動していました。低所得者層の人たちがこのホテルから立ち退きを求められたことへの抗議活動をアーティストたちが始めて以来、活動は世代を超えて続いています。結局インターナショナルホテルは取り壊され、その後転々としながら現在ではミッション地区で他のグループと事務所を借りて積極的に活動を展開。APAtureという年に一度のイベントも表現の場として行っています。
	−National Japanese Amercian History Society
日系アメリカ人の歴史を記録し保存するために活動中。2月26日に参加したThe Day of Remembranceのイベントも主催。この団体の事務所で収容体験のある飯山さんご夫妻のお話を聞きました。また日系アメリカ人だけでなく、ラテンアメリカ人もアメリカ政府によって強制収容されました。その正義を求めた活動についても話を聞くことができました。
	−収容者の体験（飯山さとしさん、ちずさん）
94歳のさとしさん、84歳のちずさんは、とってもお元気でさとしさんは日本語で、ちずさんは英語でお話しを聞きました。さとしさんは広島で小学校から中学校まで過ごし、ちずさんは大分出身です。2人はテキサスのトパーズ収容所で出会いました。二人とも真珠湾攻撃の前からアジア系に対する差別がひどかったことを覚えています。就職差別、結婚も人種を超えてすることはできませんでした。収容所が出来上がるまでお2人とも競馬場の馬小屋で過ごすことを余儀なくされました。収容が決まって5日間のうちに手で持ち運べるだけの荷物しか携行を許されず、ジャズが好きな弟さんがこっそりトロンボーンを運んで、収容所の中でジャズバンドを組んだエピソードや、仕切りもドアも無く便座だけを並べたトイレに、古い食べ物を食べ下痢に苦しむ人が使わざるを得なかったこと。夜中トイレに走る姿すらサーチライトで照らされて監視されていたこと。砂漠の砂嵐の中子どもオムツを一日に3度も洗い直さなければならなかったお母さんの話。お2人はユーモアを交えながら朗らかにお話されますが、聞いていて心が痛みました。日系アメリカ人男性たちは自発的に兵士になることを望み、有名な442部隊としてイタリア、ドイツ、フランスなどで戦いまいた。そのことが認められ戦後の補償法にもつながったといいます。
	−グレース・シミズさん（日系ラテンアメリカ人強制収用について）
グレースさんはお父さんが日系ペルー人で強制収容されました。90年までそのことを知らなかったといいます。収容所に入れられていた人たちの集まりに父親と参加したことをきっかけに日系ラテンアメリカ人の歴史を知り、家族に起こった歴史を記録し記憶しなくては･･･と活動を始めました。日系アメリカ人への補償はラテンアメリカ人には適応されませんでした。グレースさんは2004年に日本に来日されたときにもアジア女性資料センターでお話をしてくださっています。日本ではもちろん、アメリカですら知られていない歴史を伝えることに取り組んでいます。
	飯山夫妻もグレースさんも、９．１１以降イスラム系のアメリカ人、南アジア系のアメリカ人が自分たちと同じ歴史を経験しているのを見て、やはり過去から学び過ちを繰り返してはならないと、活動の重要性をお話しくださいました。
	−ウェスリー上運天さん
ウェスリーさんは“日系”の多様性について、「アイデンティティ」に焦点をあててお話しくださいました。「日系とはこういう人たち」というイメージを実は当人が作り上げているのではなく、他人によって作り上げられている現実があり、自分たちの歴史や経験を自らの手に取り戻すことの大切さについてお話されました。話しの前に、ハワイ出身ということで英語にもなまりがあり、日本語もウチナー口交じりということで、「言葉」は刑務所みたいだとお話されたことが心に残ります。
	−Center for Digital Storytelling
個々人の自分史も公文書と同じように大切な歴史であるということを基本に、個人史をビデオで記録するワークショップを行っています。ここでワークショップを受けてそれまで作っていたビデオ制作の仕方が変わったというホシノ・リナさんがお話しをしてくれました。歴史に残されるものはそのときの権力者の歴史がその人たちの視点で作られる。そうではない自分たちの語りや記憶を残すことでコミュニティの歴史の記録にもつながります。性暴力のサバイバーが自分たちの経験を自ら残していくワークショップも行っています。2月28日に訪ねたGeneration FiveもこのワークショップでDVD作りをしました。男性の性暴力サバイバーたちも声を上げ始めたということです。
	◆3月2日木曜日
ベイエリア最後の1日。1日フリーでした。レインボーフラッグはためくカストロ・ストリート、ヒッピー発祥地ヘイト・アシュベリー、チャイナタウン、サンフランシスコ現代美術館、公立図書館、学生街バークレーなど、参加者は思い思いの場所を散策しました。
私は、イラク人女性9人の話を元にした1人芝居がホテルのすぐ近くの芝居小屋でやっていたので見に行きました。原作の本がお芝居と同じ名前の「9 Parts of Desire」で出版されています。私はまだ本は読んだことがないのですが、お芝居はすばらしいものでした。もしみなさんも機会があったら是非どうぞ！オススメです。
	この日の夜は今回のツアーでとってもお世話になった金美穂さん、美穂さんのお友達で日本太平洋資料ネットワーク（JPRN）の代表、野房あかねさんとオークランドにある美味しい韓国料理を食べに行きました。美穂さんの生い立ちや現在の活動についてお話をお聞きしました。この報告でまとめることのできないくらい大切で濃い内容でした。今年の秋には日本に来られる予定があるとのことですので是非是非美穂さんのお話を聞ける機会を持てるといいなと思っています。
	長い報告になってしまいました。今回のツアーではコミュニティのエンパワーメントから社会そのものを変えていく力を感じました。またグループの内部の力関係を公平にするための徹底した取り組みにたくさんのことを学びました。これからどのように実践していけるのか私たちの力やコミットメントが試されます。日本もアメリカも社会の状況は厳しい中、希望を持って活動している人々と会える機会が得られたことを嬉しく思います。これからもみなさんとつながって活動していけることを願っています。
	松本真紀子
 </summary>
		<content type="text/html" mode="escaped" xml:base="http://www.ajwrc.org/modules/wordpress/index.php?p=13"><![CDATA[	&lt;p&gt;会員のみなさま&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;北米ベイエリアスタディツアーから戻ってきました。&lt;br /&gt;
簡単に報告します（いつも簡単に書こうと思って長くなってしまいます。暇なときに読んでくださると嬉しいです）。参加者のみなさんからも是非是非、感想やコメントなどありましたらこのML上で共有していただけると嬉しいです！詳しい報告は次号機関誌に参加者みなさんの言葉で書いていただける予定です。ご期待くださいね。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;今回のツアーはベイエリア在住のアジア女性資料センターの会員、金美穂さんの多大なご協力とアドバイスによってできあがりました。またアジア女性資料センターのロゴをデザインしてくれたホシノ・リナさん、Okinawa Peacefightersでも活動していて高里さんとも活動をしているハワイ出身の沖縄系アメリカ人のウェスリー上運天さん、ガブリエラネットの溝口展子さんにも大きな協力をいただきました。本当にありがとうございました。感謝しています。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;移動はすべて公共の交通機関で行い住民の生活の足を使うことで人々の暮らしを少し感じられました。15名を超える参加者が訪問先とのミーティングの時間に遅れないようにお互いのサポートのおかげで、電車やバスを乗り継ぎながら誰1人迷子になることなく怪我もなく無事に帰国できました。参加者のみなさん、どうもありがとうございました！&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆2月25日土曜日&lt;br /&gt;
時差の関係で25日の夕方成田を出発したのに、サンフランシスコ国際空港に到着したのは同じ日25日の早朝というお得感。でも、アジア女性資料センターのツアーはそこでゆっくりなんてしていません。早速到着当日から活動家たちと交流が始まりました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−GABRIELA NETWORK&lt;br /&gt;
フィリピンの女性団体ガブリエラと連帯する全米組織。私たちはベイエリアのサンフランシスコやバークレー支部のメンバーと会いました。ちょうど、フィリピンでは戒厳令が出た直後。メンバーはみんな前日からフィリピン政府への働きかけや情報収集に忙しくしていたときに時間を作ってくださいました。&lt;br /&gt;
フィリピンの踊りを披露してくれたあと、アジア女性資料センター側から運営委員の中原さんから「国民基金」について、会員で参加者のホン・ユンシンさんから沖縄の基地問題についてお話したあと、フィリピンの人身売買や人権問題などについてガブリエラのほうからお話いただきました。フィリピンでは政治犯の数は年々少なくなっているという現実の裏側に、毎年多数の政治犯たちが殺されている現実があるということです。&lt;br /&gt;
「慰安婦」問題への女性たちの取り組み、基地問題などに関して、議論は「男性」が作ってきた法への適応や言葉で表現することの限界への挑戦、「国家」をどうとらえるのか、女性たちの連帯が「国家」を超えることが果たして可能なのか・・・というとても大事な議論が白熱しました。時間が足り中、私たちに多くの課題を投げかけられた交換会でした。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−Asian Women’s United&lt;br /&gt;
特に事務所や恒常的な活動をしているわけではなく、アジア系アメリカ人女性のエンパワーを目的とした本の出版、ビデオの制作といったプロジェクトが立ち上がるたびに女性たちが集まって活動しているようです。私たちは創設者の1人、イレイン・キムさんのお宅にお邪魔したのですが、メンバーが集まって現在取り組んでいるビデオの試写をしている最中でした。1984年から2004年の間のハリウッドなどメディアの中でどのようにアジア系アメリカ人が描かれているかを取り上げたドキュメンタリービデオです。これは87年に制作された「Slaying the Dragon」というビデオの内容を新しくしたものです。当時メディアをアジア系アメリカ人の視点で分析した初めてのドキュメンタリービデオは私も一度見たことがありますが、非常に興味深いです。日本のメディアにおいて女性や民族、人種などの描かれ方についても考えさせられます。新しい作品が出来上がるのが楽しみですね。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆2月26日日曜日&lt;br /&gt;
この日はNGOの個別に訪問ではなく、公的なイベントへの参加となりました。午前中はバークレー駅から一駅はなれたアッシュビーという駅前で行われているフリーマーケットに行ってきました。カリフォルニア大学バークレー校などがあり有る意味で知識階級の住むバークレーの隣町にあるアッシュビーはアフリカ系アメリカ人コミュニティがあり、人種や経済レベルなどでコミュニティが完全に住み分けられている現実を少し感じられました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−The Day of Remembranceイベント&lt;br /&gt;
日本軍が真珠湾を攻撃した直後の2月、当時のアメリカ大統領ルーズベルトが発行した大統領令によりおよそ120,000人の日系アメリカ人が収容所に強制的に移されました。このことを忘れないでいるための1年に一度のイベントです。詩吟から始まったこのイベントは日本文化が色濃いもので、その理由として強制収用のため「文化」が剥奪されたためそれをも取り戻すことが目的としてあるということです。「文化」はときとして抑圧的になるので日本から参加した私はちょっと居心地の悪い気分にもなった場面もありますが、とにかくすさまじい体験・歴史を生き延びてくれてありがとう・・・と強く思いました。&lt;br /&gt;
このイベントが行われたのはジャパン・タウン。ここにあるデパートやホテルは近鉄が所有しているのですが最近売却されてしまったそうです。日系アメリカ人にとって非常に大切な意味のある場所が今後どうなるか気になります。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−The Vagina Monologues&lt;br /&gt;
「あなたのバギナについて聞かせてください」というインタビューを元にかかれた朗読劇。この収益金は女性に対する暴力を根絶するために使われます。今年は特に「慰安婦」サバイバーたちへ収益金が使われ、朗読劇の中にもサバイバーの証言が含まれました。民族、人種、国籍、セクシュアリティ、年齢などさまざまなバックグラウンドを持つ女性たちの「語り」に、笑ったり、涙を流したりしながらの観劇でした。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆2月27日月曜日&lt;br /&gt;
この日は午前中にNGOを1つ訪問。午後は久々のフリーになりました。みんなでケーブルカーでフィッシャーマンズワーフに繰り出しました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−Asian Women’s Shelter&lt;br /&gt;
アジア系のDVサバイバーへのホットライン、シェルターサービスを提供しているとっても有名なNGOです。日本人スタッフ富田伸世さんとは北京世界女性会議以来の再会でした。またタイ人スタッフのジーさんのお2人から活動についてお話を聞きました。28言語でのサービスを含む充実した活動にも感動しましたが、徹底した組織内のスタッフ間の平等で公平な関係作りに感動しました。創設者であろうが、運営委員であろうが、教育を受けていようが、いわゆる“公的”な教育を受けていなくても、みんなが平等で、お給料も平等、トイレ掃除も平等だそうです。“公的”な教育でない、個々人の経験も含めてその人の知恵として尊重しあっています。事務所とシェルターが同じ建物の中にあり、助成金申請担当者などもちゃんと当事者サポートなどの現場をいつも感じられるようにしているということです。ヒエラルキーの無い社会を目指すために、自分たちの組織内部から改革をする大切さと徹底さに感激しました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆2月28日火曜日&lt;br /&gt;
26日、27日と雨模様だった空も、28日からは持ち直し、電車、バス、徒歩での移動が楽になりました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−Women of Color Resource Center&lt;br /&gt;
60〜70年代に起こった公民権運動の中の女性の活動に端を発する団体です。経済的な正義を求めること、人種差別への反対、そしてアメリカの外交政策への批判的視点が貫かれています。とっても面白い取り組みは「反戦ファッションショー」。舞台には3つのステージがあり、１つは軍事化されたファッション、2つめは軍事化の中で女性が求められる姿のファッション（愛国的な人、従軍看護婦、軍事工場で働く労働者、性産業で働く女性たちなど）、そして3つめは平和ファッション。400人が入ることのできる会場は満員で入れない人もいたほど。現在製作中のビデオも見せてもらいました。これは「迷彩色」がどのように私たちの日常生活に入り込み、戦争が日常化しているのかということを描いたものです。できあがったら是非日本語にして日本でも紹介したい内容でした。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−Asian Immigrant Women Advocates&lt;br /&gt;
23年間も続くアジア系移民の女性労働者たちのグループ。女性労働者たちがエンパワーして自らの権利を知りそれを勝ち取ることができるような教育プログラムが非常に充実しています。90年代にはウェディングドレスなどを作るメーカーの下請け縫製工場で働く女性労働者（主に中国系）たちが自らを組織して、全米的な運動を繰り広げました。その結果、下請工場で働く労働者たちの権利もメーカーが責任をとらなくてはならない法律が成立するために大きな影響力を果たしました。またホットラインも設立され、それまで解雇などを恐れて沈黙を強いられていた移民女性たちが匿名で電話ができるようになりました。コミュニティに根付いた活動をしていて、事務所があるオークランド周辺は主に縫製産業で働く中国系女性、サンノゼにも事務所がありハイテク産業の製造ラインで働くメキシコ系、ベトナム系、韓国系女性たちへの活動をしているとのことでした。日本でも移住労働者たちへのサポート、また今後FTAなどで看護・介護への移住労働が増えてくると考えられます。何かをしてあげるサービスではなく、コミュニティの組織化と労働者たちのエンパワメントによってお互いがサポートし合える土壌を作ることの大切さを学びました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−Generation Five&lt;br /&gt;
子どもに対する性暴力を5世代のうちに無くすことを目的としている団体です。これまでに暴力に取り組んできた女性たちの活動は法整備や加害者処罰の厳正化でした。シェルターやホットラインの充実など、それはそれで大変意味のあることですが、Generation Fiveはそのことで暴力が全く減っていないどころか増えている。ということは、違うアプローチの必要性、つまりコミュニティあり方、社会規範を変えていくことが暴力の根絶に必要だということで活動を始めました。本当はとっても長い時間をかけて行われるトレーニングの内容を2時間で大急ぎで概要を聞いたため、とっても濃密な講義を聴いた感じでした。Asian Women’s Shelterの日本人スタッフ富田さんがこの団体のトレーニングを受けて、もしかしたら日本にも紹介してもらえる日が近い将来あるかもしれません。楽しみです。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆3月1日水曜日&lt;br /&gt;
アジア女性資料センターや女たちの戦争と平和資料館のロゴをデザインしてくださったベイエリアの活動家、ホシノ・リナさんがこの日一日をコーディネートしてくださいました。リナさんのおかげで密度の濃い盛りだくさんの1日でした。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−Mission Mural Walk&lt;br /&gt;
スペイン語を話すラテン系が多く住むミッションという地域には多くの壁画があります。政治的社会的なメッセージをアートを通してコミュニティに伝えます。メキシコの神話を元にしたもの、本を読んでインスピレーションを得たアーティストたちがネパールのこと、アフリカのAIDS問題のことなどを取り上げた絵もありました。もともと壁画アーティストは男性ばかり。女性はアシスタントでした。公民権運動、女性運動などの背景もあり1975年、女性たちの壁がアーティストたちのグループが生まれます。彼女たちが1975年に描いた歴史的な壁画も復元されて残っていました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−Mujeres Unidas y Activas&lt;br /&gt;
スペイン語で「女性活動家の連帯」という名称のこのグループは、メキシコからの移民女性労働者たちのためのグループ。自分たちの権利を知るワークショップ、ヘルスケアーワークショップのほか、病院の付き添いなどの仕事を得やすいように医療的なトレーニングもボランティアの医者や看護士たちが教えてくれるそうです。家事労働者が尊重されるようにキャンペーンも繰り広げています。現在は州の労働法で「労働」と認識されていない家事労働も含められるように請願書を提出したりする活動もしています。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−Kearny Street Workshop&lt;br /&gt;
アジア系アメリカ人のアーティストたちが自分たちの表現の場を作り出すため活動していますが、もともとチャイナタウンにあったインターナショナルホテルで活動していました。低所得者層の人たちがこのホテルから立ち退きを求められたことへの抗議活動をアーティストたちが始めて以来、活動は世代を超えて続いています。結局インターナショナルホテルは取り壊され、その後転々としながら現在ではミッション地区で他のグループと事務所を借りて積極的に活動を展開。APAtureという年に一度のイベントも表現の場として行っています。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−National Japanese Amercian History Society&lt;br /&gt;
日系アメリカ人の歴史を記録し保存するために活動中。2月26日に参加したThe Day of Remembranceのイベントも主催。この団体の事務所で収容体験のある飯山さんご夫妻のお話を聞きました。また日系アメリカ人だけでなく、ラテンアメリカ人もアメリカ政府によって強制収容されました。その正義を求めた活動についても話を聞くことができました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−収容者の体験（飯山さとしさん、ちずさん）&lt;br /&gt;
94歳のさとしさん、84歳のちずさんは、とってもお元気でさとしさんは日本語で、ちずさんは英語でお話しを聞きました。さとしさんは広島で小学校から中学校まで過ごし、ちずさんは大分出身です。2人はテキサスのトパーズ収容所で出会いました。二人とも真珠湾攻撃の前からアジア系に対する差別がひどかったことを覚えています。就職差別、結婚も人種を超えてすることはできませんでした。収容所が出来上がるまでお2人とも競馬場の馬小屋で過ごすことを余儀なくされました。収容が決まって5日間のうちに手で持ち運べるだけの荷物しか携行を許されず、ジャズが好きな弟さんがこっそりトロンボーンを運んで、収容所の中でジャズバンドを組んだエピソードや、仕切りもドアも無く便座だけを並べたトイレに、古い食べ物を食べ下痢に苦しむ人が使わざるを得なかったこと。夜中トイレに走る姿すらサーチライトで照らされて監視されていたこと。砂漠の砂嵐の中子どもオムツを一日に3度も洗い直さなければならなかったお母さんの話。お2人はユーモアを交えながら朗らかにお話されますが、聞いていて心が痛みました。日系アメリカ人男性たちは自発的に兵士になることを望み、有名な442部隊としてイタリア、ドイツ、フランスなどで戦いまいた。そのことが認められ戦後の補償法にもつながったといいます。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−グレース・シミズさん（日系ラテンアメリカ人強制収用について）&lt;br /&gt;
グレースさんはお父さんが日系ペルー人で強制収容されました。90年までそのことを知らなかったといいます。収容所に入れられていた人たちの集まりに父親と参加したことをきっかけに日系ラテンアメリカ人の歴史を知り、家族に起こった歴史を記録し記憶しなくては･･･と活動を始めました。日系アメリカ人への補償はラテンアメリカ人には適応されませんでした。グレースさんは2004年に日本に来日されたときにもアジア女性資料センターでお話をしてくださっています。日本ではもちろん、アメリカですら知られていない歴史を伝えることに取り組んでいます。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;飯山夫妻もグレースさんも、９．１１以降イスラム系のアメリカ人、南アジア系のアメリカ人が自分たちと同じ歴史を経験しているのを見て、やはり過去から学び過ちを繰り返してはならないと、活動の重要性をお話しくださいました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−ウェスリー上運天さん&lt;br /&gt;
ウェスリーさんは“日系”の多様性について、「アイデンティティ」に焦点をあててお話しくださいました。「日系とはこういう人たち」というイメージを実は当人が作り上げているのではなく、他人によって作り上げられている現実があり、自分たちの歴史や経験を自らの手に取り戻すことの大切さについてお話されました。話しの前に、ハワイ出身ということで英語にもなまりがあり、日本語もウチナー口交じりということで、「言葉」は刑務所みたいだとお話されたことが心に残ります。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;−Center for Digital Storytelling&lt;br /&gt;
個々人の自分史も公文書と同じように大切な歴史であるということを基本に、個人史をビデオで記録するワークショップを行っています。ここでワークショップを受けてそれまで作っていたビデオ制作の仕方が変わったというホシノ・リナさんがお話しをしてくれました。歴史に残されるものはそのときの権力者の歴史がその人たちの視点で作られる。そうではない自分たちの語りや記憶を残すことでコミュニティの歴史の記録にもつながります。性暴力のサバイバーが自分たちの経験を自ら残していくワークショップも行っています。2月28日に訪ねたGeneration FiveもこのワークショップでDVD作りをしました。男性の性暴力サバイバーたちも声を上げ始めたということです。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;◆3月2日木曜日&lt;br /&gt;
ベイエリア最後の1日。1日フリーでした。レインボーフラッグはためくカストロ・ストリート、ヒッピー発祥地ヘイト・アシュベリー、チャイナタウン、サンフランシスコ現代美術館、公立図書館、学生街バークレーなど、参加者は思い思いの場所を散策しました。&lt;br /&gt;
私は、イラク人女性9人の話を元にした1人芝居がホテルのすぐ近くの芝居小屋でやっていたので見に行きました。原作の本がお芝居と同じ名前の「9 Parts of Desire」で出版されています。私はまだ本は読んだことがないのですが、お芝居はすばらしいものでした。もしみなさんも機会があったら是非どうぞ！オススメです。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;この日の夜は今回のツアーでとってもお世話になった金美穂さん、美穂さんのお友達で日本太平洋資料ネットワーク（JPRN）の代表、野房あかねさんとオークランドにある美味しい韓国料理を食べに行きました。美穂さんの生い立ちや現在の活動についてお話をお聞きしました。この報告でまとめることのできないくらい大切で濃い内容でした。今年の秋には日本に来られる予定があるとのことですので是非是非美穂さんのお話を聞ける機会を持てるといいなと思っています。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;長い報告になってしまいました。今回のツアーではコミュニティのエンパワーメントから社会そのものを変えていく力を感じました。またグループの内部の力関係を公平にするための徹底した取り組みにたくさんのことを学びました。これからどのように実践していけるのか私たちの力やコミットメントが試されます。日本もアメリカも社会の状況は厳しい中、希望を持って活動している人々と会える機会が得られたことを嬉しく思います。これからもみなさんとつながって活動していけることを願っています。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;松本真紀子&lt;/p&gt;
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	  	<author>
			<name>admin</name>
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		<title>韓国スタディツアーから帰ってきました！</title>
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		<modified>2005-11-10T10:56:45Z</modified>
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	<dc:subject>第15回　韓国スタディツアー</dc:subject>		<summary type="text/html">	会員のみなさま
	11月1日から始まった韓国スタディツアーから今日戻りました。
不十分ですが個人的な感想です。
参加者のみなさんからの報告は来年初めに発行される機関誌に掲載予定です。
	今日、キンポ空港で機内に入る前に無料サービスの新聞配布の山に一般紙に混じって「女性ニュース」を配布している韓国にすごーいと思いつつ、新聞を開くとその中に今回のツアーに参加された運営委員の中原道子さんの顔写真が！
出発2日前に韓国と日本のフェミニストたちによる「ジェンダーの視点からみる日韓近現代史」が出版され、韓国でも11月1日に記者会見をしたばかり。「女性ニュース」はハングルでまったく私には判読できませんが、中原さんの写真と一緒に韓国で発刊されたばかりの「ジェンダーの視点からみる日韓近現代史」の写真が掲載されていたのでおそらくそのことが取り上げられたのかもしれません。今回はアジア女性資料センターの会員で、「女性・戦争・人権」学会所属、早稲田大学博士課程の学生のホンユンシンさんがコーディネートをしてくださり、水曜デモでの配布資料準備、プレスリリースの発行などをしてくださいました。そのおかげかもしれません。新聞の記事の内容がわかったらみなさんにお知らせしますね。
	11月1日火曜日：午後の便で韓国へ！
関空から2名、仙台から1名、ソウル在住の1名の現地参加者と羽田発組がホテルで合流。
	11月2日水曜日：
●韓国挺身隊問題対策協議会
韓国で「慰安婦」問題に取り組むみなさんご存知の団体。初代代表のユン・ジョンオクさんも急遽かけつけてくださいました。とても精神の強さを感じさせるオーラを感じ、パワーをもらえるひとときでした。WAM女たちの戦争と平和資料館事務局スタッフの鈴木さわ子さんも参加者の一人で資料館の話しも出ました。挺対協が計画している資料館は、西大門刑務所がある独立公演の一角を提供してもらえるようにソウル市と交渉中だそうです。とっても規模の大きな資料館の話しでしたが、小さくても日本に「慰安婦」にされた女性たちの記憶ととどめ、加害の歴史を残すWAMがあることの重要さを感じました。
●水曜デモ参加
挺対協のみなさんとともに水曜デモに参加。ちょうど「ハンセン病裁
判」の不当判決が出てすぐで原告や支援者の方々の参加や、「在外韓国人国際会議」がありその参加者たちがデモに参加しとても大きなものになりました。私たちは中原さんがアピールしました。ホンユンシンさんがハングルで準備してくれた資料100部は配布してなくなってしまいました。アピールした内容は3つあり、NHK問題、ジェンダーの視点からみる日韓近現代史発行、WAM資料館設立のことです。参加者の一人がデザインして作ってくれたスローガンをアイロンプリントしたおそろいのTシャツを着て参加しました。スローガンは「謝罪と賠償・・・今じゃないなら、いつ？」という言葉をハングル、英語、日本語で書いたものです。
その後ハルモニたちと昼食へ・・・
●ナヌムの家
ハルモニたちより先についた私たちは日本人スタッフの矢嶋さんのガイドで日本軍「慰安婦」歴史館を見せてもらう。この時期の韓国は紅葉がきれいで、ソウルの街中から郊外に移った「ナヌムの家」のまわりも山に囲まれとってもいいすがすがしい空気でした。矢嶋さんは今月20日ごろにハルモニの一人と来日予定だそうです。ハルモニたちが戻ってきたら少しだけお会いすることに。すでに夕飯の時間になっていたので長居せずに帰ってきました。
●「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」スタッフのユン・ミョンスクさんと夕食
ユンさんがどのように「慰安婦」問題に取り組み始めたか個人史と、「委員会」の活動のことなどを聞きました。「慰安婦」であることを最初に名乗り出たキム・ハクスンインタビューに立ち会うことになり民族・階級・ジェンダーの問題に直面し、「女性である私は何ものなのか？」という自分に対する問題を突きつけられたことや、「慰安婦」にさせられた女性たちはみな自立していて自我が強く、今の時代なら活躍しているであろう彼女たちの、「名もない女性たちの人生を知りたい」という気持ちから「慰安婦」問題に興味を持ち始めたと、お話しくださいました。今回のツアーで訪問した団体の女性たちは個人史を交えてお話しをしてくださる方が多く、参加者一同自分の経験を振り返りつつ、いろんな経験や感情を共有できる時間でした。「委員会」の活動も日本でもっともっと私たちが取り組まなければならない課題であることが明確になりました。
	11月3日木曜日：
「女性・戦争・人権」学会の大越さん、井桁さんが参加されました！
●駐韓米軍犯罪根絶運動本部
2000年の「女性国際戦犯法廷」の間に行われた「現代の紛争下における女性に対する暴力国際公聴会」で韓国からレポートのあった「ユングミさん」殺人事件を契機に米軍犯罪被害の被害者支援をするために1992年設立。米軍基地問題に取り組む運動がそれまで男性が中心の民族運動になりがちだった運動だったのが、この運動本部は人権の視点から「安全保障は武力では実現できない。」という明確な思想で被害者によりそった活動をしています。梅香里の射爆場が閉鎖されるなどいいニュースもある反面、ピョンテック基地の拡張がすでに予定されていて、ピョンテックに住む高齢化が進む住民たちが毎日ロウソクを手にして集う「ろうそくデモ」が開かれていることが紹介されました。このピョンテック基地の原型は日本植民地時代の軍事基地です。韓国の基地問題は私たちの戦争責任問題とつながっているのです。
2005年12月11日に平和大行進を予定していて、連帯メッセージを寄せてもらえるように呼びかけています。
素敵な日本人スタッフの宮内秋緒さんにお世話になりました。
●戦争記念館
とーっても大きな戦争賛美の記念館。私たちが訪れた日はちょうど「あぁ、お母さん」展が開かれていました。「銃後を守る女性たち」から戦争に参加するようになった「初の空軍士官女性」たちの歴史まで、描かれていました。広場には戦車やミサイルが並び、そこにバスを連なれてやってくる「社会見学」の子どもたちがよじ登って遊んでいたりして、このように軍事化が一般生活の中に入り込んでくるんだ・・・と感じました。一見する価値ありです。
●トゥレバン
ソウルから車で1時間半ほど北にある議政府（ウィジョンブ）にある基地村の性産業で働く女性たちを支援する団体。1986年から、軍事化と女性の暴力の問題の中で性売買をせざるを得なかった女性たちを支援しています。
とにかく女性たちのエンパワメントに主点をおき、女性たちが自分の力に気づき、自分の力で性産業以外の仕事を見つけられるようにサポートしています。女性たちにはそもそも力が備わっているのだから、介入は最小限にとどめるという方針で、とにかく時間をかけて女性のサポートをしています。現在は女性たちの９０％以上がフィリピン人女性だそうです。
11月26日土曜日に早稲田奉仕園50人ホールでフェミニスト映画祭「FAV連連影展」が開催されます。午後7時からトゥレバンが制作した「わたしとフクロウ」というドキュメンタリーが上映されます。是非お越しください。
ツアー参加者の清水さつきさんがこのドキュメンタリーの日本語字幕を制作中で、この日はこのフィルムを作った監督にも会えました。監督から映画祭へのメッセージももらってきました。映画祭でご覧いただけます。
	11月4日金曜日
この日は韓国の大学で講師を始めたみなさんご存知のキムプジャさんが友人2人と飛び入り参加。とてもにぎやかで楽しい1日になりました。
●梅香里
日本の植民地時代が終わったとたん、米軍により射爆訓練場として過去1951年から使われ続けてきた梅香里は住民の闘争が映画「梅香里」にもなり日本ではとても有名です。この闘争の結果、今年射爆場が閉鎖されることになりました。これは住民闘争の勝利です。今後は汚染調査、土地の回復、そしてそこでの平和公園設立の運動を続けていくそうです。闘争のリーダー、チョンマンギュさんが平和公園のミーティングだったので、主に村長さんと、ＮＧＯ「環境運動連合」のスタッフから現在までのお話とこれからの計画を聞きました。平和公園は「騒音被害裁判」の勝訴で得た賠償金や政府からの資金援助があるそうです。2008年には完成予定と書いてあるパンフレットも準備されていました。海辺を歩きましたが、長いときで1週間に70時間も騒音被害に悩まされていたことが不思議なくらい静かな小さな漁村でした。今後、この土壌の汚染調査の進み具合を注目し続けていく必要があります。
私たちツアー参加者の一部は映画「梅香里」を事前に学習会で見ていました。この中にはチョンマンギュさんのお連れ合いチェさんのインタビューが全く出てこないので、彼女のお話も聞けるといいなーと思っていました。チョンさんが昨年はじめたレストランで働くチェさんにも会えて、雑談程度でしたがお話しが聞けたり、交流できることができました。今後のことを聞くと、「自分たちは非常に貧しい生活を送ってきた。射爆場閉鎖のための闘争が落ち着いたので、これからは貧しい家の子どもたちの支援をしたい」とチェさんはおっしゃっていました。
●女性文化理論研究所のコン・ヒージュンさんのお話
コンさんには韓国女性運動史をお話しいただきました。ここで参加者全員が感動したのは、コンさんが運動史を話した後に「個人的なお話になりますが。聞いてください。」と彼女の個人史を語ってくれたことでした。比較的恵まれた家庭で育ったけれど父親の浮気、自分と夫との間のこと、そして自分の人生を生きていくことを決意して離婚。「今は人生で一番生き生きしていて、楽しいです」とお話いただきました。参加者一同、自分のことを振り返りながらお話を聞いた貴重な時間でした。
	11月5日土曜日
最終日はヨンセイ大学博士課程の坂本千壽子さんがすばらしい通訳をしてくださいました。
●韓国女性労働社会協議会
韓国の女性運動の中でもとっても活動的な女性労働運動。韓国では企業組合など既成の組合があるところには二つ以上の組合を作ることが禁止されていることもあり、未組織の「非正規雇用」女性たちを中心の女性労働者会が各地に9つあり、その中心的な存在がこの「協議会」です。土曜日で本来ならお休みの日に出てきていただきました。女性の雇用安定、雇用の平等、母性保護が3つの中心目的です。徹底して労働者の声を汲み取り、労働者自らの力を付けて、労働者の組織化、政策への提言、キャンペーン活動を行っています。女性の貧困化は日本の問題でもあります。12月6日火曜日には女性ユニオン東京の伊藤みどりさんをお招きして（伊藤さんはアジア女性資料センターの運営委員でもあります）、日本の女性の貧困化や労働運動についてお話を聞く予定です。こちらも是非ご参加ください！
●韓国消費者市民の会
生命の安全のための消費者の権利のために活動するＮＧＯ。食の安全、フェアートレード、持続可能な消費のための活動を行っています。徹底して市場に出回っている商品をチェック。危険性があったり、不正な情報をしていたりするとＲｅｃａｌｌ運動を展開したり、2500人の会員向けニュースレターで情報を発信しています。日本でもＧＭＯの問題や狂牛病の牛肉の問題などあります。何を買って何をたべているのか、自分の消費行動をちょっと反省しました。
●タシハムケセンター
性売買根絶のために活動している「ハン・ソリ会」がソウル市の依頼を受けて2003年に活動を始めました。日本への人身売買被害者のケースもあるそうです。10月に来日したこともあって日本での経験なども織り交ぜながらお話しをしていただきました。どうしてソウル市がそこまで積極的なのか・・・という質問に対しては、「ソウル市は性売買がされている地域を”浄化”して再開発したいと考えた。だからといって女性を追い出すわけにはいかず、女性たちが自ら性産業から離れていることを促せるようにハンソリに相談した」という実情を聞きました。東京都の歌舞伎町はただ性産業から追い出しただけでそこで働く女性たちの将来のことは全く無関心だったけど、ソウル市は「都市再開発」のためとは言え、女性の将来のことを考えている姿勢はまったく東京都と違うことがクリアになりました。やはり女性省が出来て「女性の人権」の視点は広く浸透していることを感じます。
	なかなか聞いたこと、見たこと、感じたことを文字で全部表現するのは難しいですが、スタディツアーで培ったネットワークをこれからも活動に生かせていければと思います。
	訪問団体先の方々を始め、コーディネータをしてくださったホン・ユンシンさん、今回のツアーの協力団体「女性・戦争・人権」学会、そして参加者のみなさんのおかげでツアーを無事に終える事ができました。ありがとうございました。
	松本真紀子
 </summary>
		<content type="text/html" mode="escaped" xml:base="http://www.ajwrc.org/modules/wordpress/index.php?p=12"><![CDATA[	&lt;p&gt;会員のみなさま&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;11月1日から始まった韓国スタディツアーから今日戻りました。&lt;br /&gt;
不十分ですが個人的な感想です。&lt;br /&gt;
参加者のみなさんからの報告は来年初めに発行される機関誌に掲載予定です。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;今日、キンポ空港で機内に入る前に無料サービスの新聞配布の山に一般紙に混じって「女性ニュース」を配布している韓国にすごーいと思いつつ、新聞を開くとその中に今回のツアーに参加された運営委員の中原道子さんの顔写真が！&lt;br /&gt;
出発2日前に韓国と日本のフェミニストたちによる「ジェンダーの視点からみる日韓近現代史」が出版され、韓国でも11月1日に記者会見をしたばかり。「女性ニュース」はハングルでまったく私には判読できませんが、中原さんの写真と一緒に韓国で発刊されたばかりの「ジェンダーの視点からみる日韓近現代史」の写真が掲載されていたのでおそらくそのことが取り上げられたのかもしれません。今回はアジア女性資料センターの会員で、「女性・戦争・人権」学会所属、早稲田大学博士課程の学生のホンユンシンさんがコーディネートをしてくださり、水曜デモでの配布資料準備、プレスリリースの発行などをしてくださいました。そのおかげかもしれません。新聞の記事の内容がわかったらみなさんにお知らせしますね。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;11月1日火曜日：午後の便で韓国へ！&lt;br /&gt;
関空から2名、仙台から1名、ソウル在住の1名の現地参加者と羽田発組がホテルで合流。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;11月2日水曜日：&lt;br /&gt;
●韓国挺身隊問題対策協議会&lt;br /&gt;
韓国で「慰安婦」問題に取り組むみなさんご存知の団体。初代代表のユン・ジョンオクさんも急遽かけつけてくださいました。とても精神の強さを感じさせるオーラを感じ、パワーをもらえるひとときでした。WAM女たちの戦争と平和資料館事務局スタッフの鈴木さわ子さんも参加者の一人で資料館の話しも出ました。挺対協が計画している資料館は、西大門刑務所がある独立公演の一角を提供してもらえるようにソウル市と交渉中だそうです。とっても規模の大きな資料館の話しでしたが、小さくても日本に「慰安婦」にされた女性たちの記憶ととどめ、加害の歴史を残すWAMがあることの重要さを感じました。&lt;br /&gt;
●水曜デモ参加&lt;br /&gt;
挺対協のみなさんとともに水曜デモに参加。ちょうど「ハンセン病裁&lt;br /&gt;
判」の不当判決が出てすぐで原告や支援者の方々の参加や、「在外韓国人国際会議」がありその参加者たちがデモに参加しとても大きなものになりました。私たちは中原さんがアピールしました。ホンユンシンさんがハングルで準備してくれた資料100部は配布してなくなってしまいました。アピールした内容は3つあり、NHK問題、ジェンダーの視点からみる日韓近現代史発行、WAM資料館設立のことです。参加者の一人がデザインして作ってくれたスローガンをアイロンプリントしたおそろいのTシャツを着て参加しました。スローガンは「謝罪と賠償・・・今じゃないなら、いつ？」という言葉をハングル、英語、日本語で書いたものです。&lt;br /&gt;
その後ハルモニたちと昼食へ・・・&lt;br /&gt;
●ナヌムの家&lt;br /&gt;
ハルモニたちより先についた私たちは日本人スタッフの矢嶋さんのガイドで日本軍「慰安婦」歴史館を見せてもらう。この時期の韓国は紅葉がきれいで、ソウルの街中から郊外に移った「ナヌムの家」のまわりも山に囲まれとってもいいすがすがしい空気でした。矢嶋さんは今月20日ごろにハルモニの一人と来日予定だそうです。ハルモニたちが戻ってきたら少しだけお会いすることに。すでに夕飯の時間になっていたので長居せずに帰ってきました。&lt;br /&gt;
●「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」スタッフのユン・ミョンスクさんと夕食&lt;br /&gt;
ユンさんがどのように「慰安婦」問題に取り組み始めたか個人史と、「委員会」の活動のことなどを聞きました。「慰安婦」であることを最初に名乗り出たキム・ハクスンインタビューに立ち会うことになり民族・階級・ジェンダーの問題に直面し、「女性である私は何ものなのか？」という自分に対する問題を突きつけられたことや、「慰安婦」にさせられた女性たちはみな自立していて自我が強く、今の時代なら活躍しているであろう彼女たちの、「名もない女性たちの人生を知りたい」という気持ちから「慰安婦」問題に興味を持ち始めたと、お話しくださいました。今回のツアーで訪問した団体の女性たちは個人史を交えてお話しをしてくださる方が多く、参加者一同自分の経験を振り返りつつ、いろんな経験や感情を共有できる時間でした。「委員会」の活動も日本でもっともっと私たちが取り組まなければならない課題であることが明確になりました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;11月3日木曜日：&lt;br /&gt;
「女性・戦争・人権」学会の大越さん、井桁さんが参加されました！&lt;br /&gt;
●駐韓米軍犯罪根絶運動本部&lt;br /&gt;
2000年の「女性国際戦犯法廷」の間に行われた「現代の紛争下における女性に対する暴力国際公聴会」で韓国からレポートのあった「ユングミさん」殺人事件を契機に米軍犯罪被害の被害者支援をするために1992年設立。米軍基地問題に取り組む運動がそれまで男性が中心の民族運動になりがちだった運動だったのが、この運動本部は人権の視点から「安全保障は武力では実現できない。」という明確な思想で被害者によりそった活動をしています。梅香里の射爆場が閉鎖されるなどいいニュースもある反面、ピョンテック基地の拡張がすでに予定されていて、ピョンテックに住む高齢化が進む住民たちが毎日ロウソクを手にして集う「ろうそくデモ」が開かれていることが紹介されました。このピョンテック基地の原型は日本植民地時代の軍事基地です。韓国の基地問題は私たちの戦争責任問題とつながっているのです。&lt;br /&gt;
2005年12月11日に平和大行進を予定していて、連帯メッセージを寄せてもらえるように呼びかけています。&lt;br /&gt;
素敵な日本人スタッフの宮内秋緒さんにお世話になりました。&lt;br /&gt;
●戦争記念館&lt;br /&gt;
とーっても大きな戦争賛美の記念館。私たちが訪れた日はちょうど「あぁ、お母さん」展が開かれていました。「銃後を守る女性たち」から戦争に参加するようになった「初の空軍士官女性」たちの歴史まで、描かれていました。広場には戦車やミサイルが並び、そこにバスを連なれてやってくる「社会見学」の子どもたちがよじ登って遊んでいたりして、このように軍事化が一般生活の中に入り込んでくるんだ・・・と感じました。一見する価値ありです。&lt;br /&gt;
●トゥレバン&lt;br /&gt;
ソウルから車で1時間半ほど北にある議政府（ウィジョンブ）にある基地村の性産業で働く女性たちを支援する団体。1986年から、軍事化と女性の暴力の問題の中で性売買をせざるを得なかった女性たちを支援しています。&lt;br /&gt;
とにかく女性たちのエンパワメントに主点をおき、女性たちが自分の力に気づき、自分の力で性産業以外の仕事を見つけられるようにサポートしています。女性たちにはそもそも力が備わっているのだから、介入は最小限にとどめるという方針で、とにかく時間をかけて女性のサポートをしています。現在は女性たちの９０％以上がフィリピン人女性だそうです。&lt;br /&gt;
11月26日土曜日に早稲田奉仕園50人ホールでフェミニスト映画祭「FAV連連影展」が開催されます。午後7時からトゥレバンが制作した「わたしとフクロウ」というドキュメンタリーが上映されます。是非お越しください。&lt;br /&gt;
ツアー参加者の清水さつきさんがこのドキュメンタリーの日本語字幕を制作中で、この日はこのフィルムを作った監督にも会えました。監督から映画祭へのメッセージももらってきました。映画祭でご覧いただけます。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;11月4日金曜日&lt;br /&gt;
この日は韓国の大学で講師を始めたみなさんご存知のキムプジャさんが友人2人と飛び入り参加。とてもにぎやかで楽しい1日になりました。&lt;br /&gt;
●梅香里&lt;br /&gt;
日本の植民地時代が終わったとたん、米軍により射爆訓練場として過去1951年から使われ続けてきた梅香里は住民の闘争が映画「梅香里」にもなり日本ではとても有名です。この闘争の結果、今年射爆場が閉鎖されることになりました。これは住民闘争の勝利です。今後は汚染調査、土地の回復、そしてそこでの平和公園設立の運動を続けていくそうです。闘争のリーダー、チョンマンギュさんが平和公園のミーティングだったので、主に村長さんと、ＮＧＯ「環境運動連合」のスタッフから現在までのお話とこれからの計画を聞きました。平和公園は「騒音被害裁判」の勝訴で得た賠償金や政府からの資金援助があるそうです。2008年には完成予定と書いてあるパンフレットも準備されていました。海辺を歩きましたが、長いときで1週間に70時間も騒音被害に悩まされていたことが不思議なくらい静かな小さな漁村でした。今後、この土壌の汚染調査の進み具合を注目し続けていく必要があります。&lt;br /&gt;
私たちツアー参加者の一部は映画「梅香里」を事前に学習会で見ていました。この中にはチョンマンギュさんのお連れ合いチェさんのインタビューが全く出てこないので、彼女のお話も聞けるといいなーと思っていました。チョンさんが昨年はじめたレストランで働くチェさんにも会えて、雑談程度でしたがお話しが聞けたり、交流できることができました。今後のことを聞くと、「自分たちは非常に貧しい生活を送ってきた。射爆場閉鎖のための闘争が落ち着いたので、これからは貧しい家の子どもたちの支援をしたい」とチェさんはおっしゃっていました。&lt;br /&gt;
●女性文化理論研究所のコン・ヒージュンさんのお話&lt;br /&gt;
コンさんには韓国女性運動史をお話しいただきました。ここで参加者全員が感動したのは、コンさんが運動史を話した後に「個人的なお話になりますが。聞いてください。」と彼女の個人史を語ってくれたことでした。比較的恵まれた家庭で育ったけれど父親の浮気、自分と夫との間のこと、そして自分の人生を生きていくことを決意して離婚。「今は人生で一番生き生きしていて、楽しいです」とお話いただきました。参加者一同、自分のことを振り返りながらお話を聞いた貴重な時間でした。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;11月5日土曜日&lt;br /&gt;
最終日はヨンセイ大学博士課程の坂本千壽子さんがすばらしい通訳をしてくださいました。&lt;br /&gt;
●韓国女性労働社会協議会&lt;br /&gt;
韓国の女性運動の中でもとっても活動的な女性労働運動。韓国では企業組合など既成の組合があるところには二つ以上の組合を作ることが禁止されていることもあり、未組織の「非正規雇用」女性たちを中心の女性労働者会が各地に9つあり、その中心的な存在がこの「協議会」です。土曜日で本来ならお休みの日に出てきていただきました。女性の雇用安定、雇用の平等、母性保護が3つの中心目的です。徹底して労働者の声を汲み取り、労働者自らの力を付けて、労働者の組織化、政策への提言、キャンペーン活動を行っています。女性の貧困化は日本の問題でもあります。12月6日火曜日には女性ユニオン東京の伊藤みどりさんをお招きして（伊藤さんはアジア女性資料センターの運営委員でもあります）、日本の女性の貧困化や労働運動についてお話を聞く予定です。こちらも是非ご参加ください！&lt;br /&gt;
●韓国消費者市民の会&lt;br /&gt;
生命の安全のための消費者の権利のために活動するＮＧＯ。食の安全、フェアートレード、持続可能な消費のための活動を行っています。徹底して市場に出回っている商品をチェック。危険性があったり、不正な情報をしていたりするとＲｅｃａｌｌ運動を展開したり、2500人の会員向けニュースレターで情報を発信しています。日本でもＧＭＯの問題や狂牛病の牛肉の問題などあります。何を買って何をたべているのか、自分の消費行動をちょっと反省しました。&lt;br /&gt;
●タシハムケセンター&lt;br /&gt;
性売買根絶のために活動している「ハン・ソリ会」がソウル市の依頼を受けて2003年に活動を始めました。日本への人身売買被害者のケースもあるそうです。10月に来日したこともあって日本での経験なども織り交ぜながらお話しをしていただきました。どうしてソウル市がそこまで積極的なのか・・・という質問に対しては、「ソウル市は性売買がされている地域を”浄化”して再開発したいと考えた。だからといって女性を追い出すわけにはいかず、女性たちが自ら性産業から離れていることを促せるようにハンソリに相談した」という実情を聞きました。東京都の歌舞伎町はただ性産業から追い出しただけでそこで働く女性たちの将来のことは全く無関心だったけど、ソウル市は「都市再開発」のためとは言え、女性の将来のことを考えている姿勢はまったく東京都と違うことがクリアになりました。やはり女性省が出来て「女性の人権」の視点は広く浸透していることを感じます。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;なかなか聞いたこと、見たこと、感じたことを文字で全部表現するのは難しいですが、スタディツアーで培ったネットワークをこれからも活動に生かせていければと思います。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;訪問団体先の方々を始め、コーディネータをしてくださったホン・ユンシンさん、今回のツアーの協力団体「女性・戦争・人権」学会、そして参加者のみなさんのおかげでツアーを無事に終える事ができました。ありがとうございました。&lt;/p&gt;
	&lt;p&gt;松本真紀子&lt;/p&gt;
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	  	<author>
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		<title>ヨルダンスタディツアー報告</title>
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		<modified>2005-08-10T15:56:00Z</modified>
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	<dc:subject>第14回　ヨルダンスタディツアー</dc:subject>		<summary type="text/html">	会員のみなさま 
	ヨルダンスタディツアーから夕べ帰国しました。簡単に報告します。
ツアーの参加者のみなさんも是非一言でもMLに感想を投げてくださ
ると嬉しいです。 
	WAM（おんなたちのアクティブ・ミュージアム）のオープニングイベ
ントに後ろ髪をひかれつつ、国会での郵政民営化や障がい者自立支援
（阻害？）法の行方なども気になりつつ、7月31日に総勢15名で出発
しました。途中、沖縄の高里鈴代さんも合流され、現地に一足早く着
いていた今回のツアーのコーディネーターの清末愛砂さんも含めて
17名の旅でした。 
	アジア女性資料センターのスタディツアーでは始めての中東の国ヨル
ダン。カタールのドーハ空港で飛行機を乗りついでアンマンにたどり
着きました。湾岸の国カタール・ドーハでは長い待ち時間の間無料の
シティーツアーに参加しました。 
	石油よりミネラルウォーターのほうが高いというドーハでは、街中を
歩いている姿は男性ばかり。女性の姿はほとんど見られません。日中
の気温が40度を超える街中の男性の姿も移住労働者ばかりで、違和
感を感じましたが、ヨルダンでは空港に着いた途端、女性の姿も多く
（大都市アンマンはスカーフ無しの女性も多い）、居心地の良さが各
段に挙がりました。 
	ヨルダンは人口の7割近くがパレスチナ難民（１世は時代とともに少
なくなり今では難民キャンプ生まれの世代が多い）を占め、今回もガ
イドさんやバスの運手飲手さん、ホテルのマネージャさんなど会う人
のほとんどがパレスチナ人でした。同時にイラクとも国境を接してい
るため、戦火から逃げてきたイラク人もたくさん