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            <title>グアムスタディツアー報告</title>
            <description>	　グアム・ツアーから無事戻ってきましたので、簡単に報告します。詳しくは次号機関誌に参加者のみなさんからの報告として掲載予定です。
	　今回のツアーは、高里さんをはじめ、いろいろな方からの多大なご協力とアドバイスによって無事終えることができました。本当にありがとうございました。
	◆1月26日土曜日
　7時半に成田空港に集合し、グアムへ。飛行機からは原潜の母港だというアプラ港が見えます。
	　ホテルで自己紹介をした後、近くのレストランでチャモロ料理を、その後コーヒーを飲みながら、ホテルの会議室で高里さんのミニ・レクチャーを聞きました。
	沖縄の海兵隊のグアム移転のこと
　沖縄の8000人の海兵隊を、沖縄の負担軽減のために、グアムに移転させるというが、その移転費用を日本が負担すること、沖縄の負担軽減といいながら沖縄に新たに基地が建設されようとしていることについては、ほとんど問題にされていないし、なし崩し的に進められようとしている。十分な論議をしないままでよいのか。
	チャモロのこと
　チャモロには4000年の歴史があり、「イナホ・マウレク（living with
harmony）」ということを大切にしている。社会や友だちと仲良く生きていこうということで、沖縄の「ぬちどぅ宝」にあたることばだと思う。そのようなチャモロの人たちが先祖から受け継いだ土地が、侵略され、米国の基地や日本人向けの観光地になっている。今でも独立を求める運動が続いていて、土地の返還も求めているが、基地として使われた土地は汚染されているという。
　一方、チャモロの若者には軍に入る以外にほとんど仕事がない。多くのチャモロ人が家族や親戚の誰かが軍関係の仕事についているというねじれた問題を抱えている。
	などなど、お話をききました。
	◆1月27日日曜日
　今日はフィールド・トリップの日です。米軍基地やチャモロのことはチャモロ・ネイションの方が、日本占領中のことはガイドさんが説明してくださいました。島の3分の1が基地だということ、基地関連施設の建設が人々からは見えないところでどんどん進められているということが肌で感じられました。
　昼食は、チャモロ・ネイションのメンバーのご自宅で、チャモロ料理をごちそうになりました。
	◆1月28日月曜日
　午前中は日本占領時代の女性に対する暴力の話を聞きました。グアムでも、「慰安婦」にさせられたということを家族にも話せずに女性たちが亡くなっている、過去を乗り越えるためには補償が必要だということでした。
　午後はFuetsan Famalao&amp;#8217;an（女性の力）主催の公開フォーラムです。テーマは女性と人権。高里さんが基調講演を、4人の参加者が憲法９条、
「慰安婦」、札幌自衛官人権裁判などについて発表しました。立ち見が出るほどの大盛況でした。
　夕食はFuetsan Famalao&amp;#8217;anの関係者のご自宅で、首都ハガニアの夜景を前に星空のもと、チャモロ料理をごちそうになりました。
	◆1月29日火曜日
　出発時間までの自由時間、ダイビングをする人、パラセーリングをする人、滞在中に出会った人のお勧めの本を探しに行く人、27日のフィールドトリップで見学したInadahen Lina&amp;#8217;la&amp;#8217; I Kotturan Chamoru（チャモロアートセンター）のアーティストのお店に行く人など、思い思いに過ごしました。
	　グアムでも、基地のことは、一部の活動家だけが取り組んでいる、多くの人にとっては触れてはいけないものになってしまっているそうです。今回、グアム大学での公開フォーラム、新聞取材、ラジオ出演と露出度が高くなりましたが、チャモロ・ネイションの方たちが、私たちの訪問を、少しでも多くの人に基地のことを考えて行動してもらうきっかけにしたいと思ったから。いろいろなところで、ラジオを聴いたよ、と声をかけられました。彼ら／彼女らが、基地のことを自分の問題として考えてくれたのならうれしいのですが。そして、私たちも、自分のこととして考えて行動しなくては、と思いを新たにして帰ってきました。
	　東京でのツアー報告会では参加者の撮って来たビデオも上映する予定です。札幌でも開催予定です。ぜひ聞きにきてください。

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        </item>
        <item>
            <title>パキスタンスタディツアー報告</title>
            <description>	パキスタン・スタディツアーから無事戻ってきましたので、簡単に報告します。詳しくは5月の機関誌に参加者のみなさんからの報告として掲載予定です。
	今回のツアーは、いろいろな方からの多大なご協力とアドバイスによって無事終えることができました。本当にありがとうございました。
	◆2月10日土曜日
−督永忠子さん（日パウェルフェア・アソシエーション）
1981年にパキスタンに移住して以来、旅行会社を経営するかたわら、アフガン難民支援やパキスタン最北部での女性の自立支援プログラムをされてきました。
パキスタン人の夫との離婚後、親権獲得のためにたたかってきた裁判の経験、25年にわたるパキスタンでの暮らしから、イスラム（法）がパキスタンの女性に及ぼす影響についてお伺いしました。
子どもを日本で育てるかパキスタンで育てるかという話から始まり、情報や選択肢はないかもしれないが守られたなかで決められた生き方をする方が幸せか、失敗したとしても自分で選択する自由があるほうが幸せか、で白熱した議論となりました。
	◆2月11日日曜日
イスラマバードからラホールに移動して、この日からはパキスタンの女性団体の訪問です。
	−シルカット・ガー
女性に差別的な法の改正を求めて政策提言を行ってきた団体です。
代表のファリダ・シャヒードさんにお話を伺いました。
イギリス植民地時代から始まったパキスタンの女性運動の歴史、婚外交渉が国家に対する犯罪とされ、また無罪であることを証明するために4人の男性による証言が必要であるためにレイプのサバイバーが犯罪者とされてしまうハドゥード法の問題点や法改正をめぐる動きについてお話を聞きました。
	−The Pakistan-India Peoples Forum for Peace and Democracy
印パ間の平和を、市民同士の対話を積み重ねることで実現したいと考えた両国の市民が集まり1994年に設立されました。
	−パキスタン・インド国境閉門式
パキスタン、インドの国境線で唯一陸路での通行が可能な国境の町ワガに行きました。ここでは毎夕、国境をはさんで国旗を降納するセレモニーが行われ、パキスタン側、インド側ともに大勢の観光客が訪れます。観客を煽る役割の男性のかけ声に合わせて両国の観客が自国を称える歓声を何度も何度もあげるなか、国境警備隊が威圧的な態度で競い合います。
The Pakistan-India Peoples Forumの方はこのような愛国心を煽るようなセレモニーは即刻やめるべきだとおっしゃっていました。このような意見は少数派だが、インドとパキスタンは分かれるべきではなかったともおっしゃっていました。
インド側の観客席は男女ともいっしょでしたが、パキスタン側は地元の男性、地元の女性、外国人男性、外国人女性と席がわかれていました。そして男性は基本的に立って見ているのですが、女性側は写真撮影のためにみんなが席を立つたびに警備兵に座るように言われました。
	◆2月12日月曜日
−オーラット・ファウンデーション
情報提供、政策提言を行えるよう市民社会を強める、アファーマティブアクションが執行されるように政策提言を行うの3つを柱として活動しているパキスタンでもっとも大きな団体の1つです。
村レベルから国政レベルまで幅広く活動しているそうですが、特に村レベルでは女性に関する情報を農村地帯の女性に伝えるためにラジオ番組を活用したり、村に情報センターを設置したりしているそうです。また、地域レベルの議会の女性議員（全議席の33％が女性に割り当てられている）にトレーニングも提供しているそうです。
	−ラホール女性学研究所
この日は偶然にも24年前にラホールの女性たちが軍事政権に反対をして行動を起こしたまさにその日で、それを祝うパーティの準備に忙しいなか時間をつくって会ってくださいました。
フェミニズム、世俗主義、反軍事主義、平和、マイノリティの5つを柱として活動するなか、現在はとくにマイノリティの権利、平和、女性の土地に対する権利、未婚女性に対する女性の家族からの暴力の4つのプログラムに力を入れているそうです。
草の根レベルで活動するフィールドコーディネーターがおり、出身の村で地元の人々と協力してプログラムを行っています。女性に関して何か問題が起こったときには、彼女たちが中心となって地元の政府当局やメディアに働きかけをするそうです。
カシミール問題にも取り組んでいて、紛争下で女性が受けた暴力の事実を明らかにするとともに、現地の女性のリーダーシップのもと住民同士の話し合いを通じて平和を実現するための活動も行っているそうです。
	−AGHS
女性、子ども、債務労働者のみを対象に、パンジャブ地方で唯一無料で法律相談を提供している弁護士事務所。
暴力を受けた女性のシェルター運営も行っています。民間で運営されているシェルターとしては唯一のもので、政府のシェルターとのもっとも大きな違いは、女性たちが自由にシェルターの外に出られることです。政府のシェルターでは女性は保護されるものとされていて、自分の力で弁護士事務所に相談に行ったり仕事を探したりして人生を切り開く機会は与えられないのだそうです。
女性が親の意思に背いて自分で結婚相手を選んだり、夫以外の男性と親しくなったり、夫と離婚しようとした場合に、父親や兄弟や夫が「一族の名誉」を守るために女性を殺す「名誉殺人」についての事実を記録した本も出版しています。ちなみに、昨年の「名誉殺人」の件数は前年度の2倍なのだそうです。
	◆2月13日火曜日
−シームルグ女性資料センター
宗教原理主義が台頭するパキスタンにおいて女性に関する問題に取り組むなか、運動のためには情報の共有が重要だとの認識から設立された団体。
すべての問題は互いに関連しているとの認識から女性に関する様々な分野に取り組んでいます。レイプのサバイバーに自らの経験を語ってもらう調査をパキスタンで初めて行ったり、パキスタン軍によるバングラデシュの女性に対する暴力の事実を明らかにしたり、またスタッフに教師が多いため子どもたちに基本的人権やジェンダーについて教える教材開発も行っているそうです。
	−Cathe Foundation、エイズ予防協会、APACHAパキスタンなど
「セックスワーカー」が多く働くヒーラーマンディ地区において、HIVへの感染予防、感染者のケアのために働く団体のみなさんにお話を伺いました。
ヒーラーマンディ地区は、もともとはムガール王朝時代の楽士のコミュニティでしたが、今はラホール周辺の村やアフガン難民キャンプからも女性がやってくるそうです。
また、パキスタンで公式に登録されているHIVの感染者はそれ程多くはありませんが、実際のところは明らかではありませんし、増加傾向にもあります。そのためHIVに関する情報の提供、コンドームの配布、クリニックの運営などを行っているそうです。
参加者の何人かは「セックスワーカー」が働く現場も見せていただきました。
	2月14日はラホールでムガール王朝時代の城を見学、15日はイスラマバード近郊のタキシラで紀元前の都市遺跡や紀元前後の仏教遺跡を見学し、歴史の長さを感じました。
	今回のツアーでは、軍事政権下、宗教保守派が台頭するなか、女性に関するオルタナティブな情報を提供、共有しようと活動する団体を多く訪れました。彼女たちが発行する貴重な資料をたくさん持って帰ってきましたので、ぜひセンターまで読みにきてください（残念ながら日本語ではありませんが）。
また、お二人の参加者がビデオを撮影してくださいました。早いうちにツアー報告会を開ければと思っていますので、楽しみにお待ちください。
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            <title>北コリアツアー報告</title>
            <description>	北コリアスタディツアーから無事戻ってきましたので、簡単に報告します。
	今回のツアーは、いろいろな方からの多大なご協力とアドバイスによって無事終えることができました。本当にありがとうございました。
	◆8月5日（土）
朝6時20分という朝早い時間でしたが、誰1人遅れることなく羽田に集合しました。
途中、関空からの参加者になかなか会えなかったり、お酒を機内持ち込みできない中国でセキュリティチェックにひっかかったりと、小さなトラブルはありましたが、無事瀋陽でビザを受け取り、平壌に向けて高麗航空に乗ることができました。
機内では、手作り感あふれる高麗航空のうちわを片手に、機内で配られる冊子を眺める人、早速ビールに挑戦する人と思い思いに過ごし、1時間程で平壌順安国際空港に到着しました。
少し厳しい入国審査の後、携帯電話を空港に預け、無事今回の受入先である対文協の3人にお会いすることができました。
バスの中で、「基本的にはどこを撮影してもよいが、軍事施設、相手が嫌がっているときは遠慮してほしい、自分たちだけでホテルの外には出ないでほしい」などの注意を受け、平壌高麗ホテルにチェックインしました。
	◆8月6日（日）
この日は片道約2時間をかけて板門店に行き、高麗の都、開城の民俗旅館で昼ごはんを食べて帰ってきました。
道すがら、北コリアでは1946年に農地解放が行われ現在は共同農場で生産をしていること、国を挙げて農業に集中する年で春秋の農繁期には対文協のスタッフだけでなく、学生や人民軍も農業に従事するという話をききました。
	−板門店
朝鮮人民軍板門店代表部参謀中佐の李さんの案内で、朝鮮戦争の停戦協定調印式場、軍事停戦委員会会議場、停戦ラインである軍事境界線などを見学しました。
最後に李さんから「南北統一するためにはどうしたらいいでしょうか」という宿題をもらいました。
	−祖国統一三大憲章記念塔
帰りに平壌市統一道入口の「祖国統一三大憲章記念塔」を見学しました。
三大憲章というのは、
１．統一のための三大原則（1972年「7.4南北共同声明」）
自主、平和、民族大団結の三大原則に基づき祖国を統一する。
２．高麗民主連邦共和国創設方案（1980年朝鮮労働党大会で主席が提示）
　北と南は、現存する二つの制度をそのままにして統一し、外交、国防のみを1つの政府として行う。
３．全人民団結のための10の綱領（1993年主席が提示）
の3つだそうです。
	夜はお食事会でした。帰ったら自分の目で見たことを伝えてほしい、また日本のメディアの権力追従、日本の一部の勢力が戦争を引き起こす準備を進めていることは容認できない、見解や方法論は違うかもしれないが平和のために共に行動していきたいというお話がありました。その後、ミサイル発射について少し意見交換もすることができました。
	8月7日（月）
朝7時から対文協の方の案内で、平壌の人たちがバスやトロリーバスで忙しそうに職場に向かうなか、のんびり平壌駅周辺を散歩しました。
	−朝鮮革命博物館
1860年代から1945年までの日本の蛮行について学びました。
	−日本軍慰安婦の証言
金英淑（きむよんしく）さん、郭金女（くぁくぐむにょ）さんの証言を聞き、昼食をごいっしょしました。
「日本人は見るのもいやだし、おみやげをいただいたがありがとうとも言いたくない、これまで何人かの人が証言を聞きに来てくれたがまだ何の補償もされていない、多くの友人が殺されたのがくやしい、日本に行って日本の人民の前で訴えたいが日本は入国させてくれない」ということばが印象に残りました。
	−平壌産院
女性のための総合医療機関。慰安婦のハルモニの診察もしたそうです。
	−平壌9.15週託児所
幼稚園に行く前の子どもたちを月曜から週末まで通して預かっています。
	−平壌サーカス劇場
空中ブランコにドキドキしました。
	8月8日（火）
この日も朝7時から大同江まで散歩に連れて行ってもらいました。途中、マンションの前を通り、平壌の人たちの生活を垣間見ることができました。
	−強制連行被害者、被爆者の証言
強制連行被害者である全竜福（ちょんりょんぽく）さん、ナガサキで2歳のときに被爆された朴文淑（ぱくむんしく）さんのお話をききました。
「連行されただけでも腹立たしいのに日本政府は何の対策も講じていない、多くの人が謝罪と補償を受け取ってくれと言って息を引き取る、日本は唯一の被爆国として反核・平和を求める国になるべきなのに軍国主義に向かっているのは被爆者への蹂躙だ」ということばが印象に残っています。
	−祖国解放勝利記念館
朝鮮戦争時に米軍がはたらいた蛮行について学びました。朝鮮戦争時に人民軍が撃墜した米軍の飛行機が何機も展示してありました。
	−刺繍研究所
金日成さんの妻、金正淑さんが設立したという研究所を見学しました。400人のスタッフが刺繍製品と技術の国内外への普及、刺繍制作に従事しているそうです。
	−平壌地下鉄
（核シェルターを兼ねているという）平壌地下鉄の千里馬線復興駅から栄光駅までの一駅間を車両一台貸切ではありましたが乗せてもらいました。150メートルもあるエスカレーターで深さ100メートルまで一気にもぐりました（ちなみに東京の地下鉄は深くても約30メートル）。復興駅と栄光駅は照明、壁面ともに豪華でした。ちなみに1973年に千里馬線、1978年に革新線が開通、総距離は40?だそ
うです。
	夜は再び食事会をしました。食後に、朴永心（ぱくよんしむ）さんが前日の朝に亡くなられたという悲しい報告を受けました。
	8月9日（水）
今日も朝から散歩に連れて行ってもらったようです。3日も続けて散歩をしたいと言った団体はこれまでなかったとのことで驚かれました。早く対文協の方を煩わせずに散歩ができるようになるといいのですが。
	10時半にホテルを出発し、空港で携帯電話を返してもらい帰路につきました。途中、またもやお酒のことでひっかかったり、飛行機が被雷して1時間遅れになったりということはありましたが、無事夜の10時半に羽田に到着しました。
	もっと詳しい報告は参加者のみなさんがしてくださると思います。楽しみにしていてください。
今回のツアーでは、慰安婦、強制連行、原爆の被害者の方々が毎年のように亡くなっていて謝罪、補償が急務であること、軍国主義に向かっている日本で私たちの運動がまだまだ足りないということを率直に指摘されました。また、なかなか会う機会のない国の人だけに、話す内容に制限はあるにしろ、実際に会ってお話をする機会をもつことは大切だと改めて感じました。
ツアー中にこれからどう運動していこうかという話もいろいろしたので、それを形にしていきたいと思います。

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            <title>ベイエリアツアー報告</title>
            <description>	会員のみなさま
	北米ベイエリアスタディツアーから戻ってきました。
簡単に報告します（いつも簡単に書こうと思って長くなってしまいます。暇なときに読んでくださると嬉しいです）。参加者のみなさんからも是非是非、感想やコメントなどありましたらこのML上で共有していただけると嬉しいです！詳しい報告は次号機関誌に参加者みなさんの言葉で書いていただける予定です。ご期待くださいね。
	今回のツアーはベイエリア在住のアジア女性資料センターの会員、金美穂さんの多大なご協力とアドバイスによってできあがりました。またアジア女性資料センターのロゴをデザインしてくれたホシノ・リナさん、Okinawa Peacefightersでも活動していて高里さんとも活動をしているハワイ出身の沖縄系アメリカ人のウェスリー上運天さん、ガブリエラネットの溝口展子さんにも大きな協力をいただきました。本当にありがとうございました。感謝しています。
	移動はすべて公共の交通機関で行い住民の生活の足を使うことで人々の暮らしを少し感じられました。15名を超える参加者が訪問先とのミーティングの時間に遅れないようにお互いのサポートのおかげで、電車やバスを乗り継ぎながら誰1人迷子になることなく怪我もなく無事に帰国できました。参加者のみなさん、どうもありがとうございました！
	◆2月25日土曜日
時差の関係で25日の夕方成田を出発したのに、サンフランシスコ国際空港に到着したのは同じ日25日の早朝というお得感。でも、アジア女性資料センターのツアーはそこでゆっくりなんてしていません。早速到着当日から活動家たちと交流が始まりました。
	−GABRIELA NETWORK
フィリピンの女性団体ガブリエラと連帯する全米組織。私たちはベイエリアのサンフランシスコやバークレー支部のメンバーと会いました。ちょうど、フィリピンでは戒厳令が出た直後。メンバーはみんな前日からフィリピン政府への働きかけや情報収集に忙しくしていたときに時間を作ってくださいました。
フィリピンの踊りを披露してくれたあと、アジア女性資料センター側から運営委員の中原さんから「国民基金」について、会員で参加者のホン・ユンシンさんから沖縄の基地問題についてお話したあと、フィリピンの人身売買や人権問題などについてガブリエラのほうからお話いただきました。フィリピンでは政治犯の数は年々少なくなっているという現実の裏側に、毎年多数の政治犯たちが殺されている現実があるということです。
「慰安婦」問題への女性たちの取り組み、基地問題などに関して、議論は「男性」が作ってきた法への適応や言葉で表現することの限界への挑戦、「国家」をどうとらえるのか、女性たちの連帯が「国家」を超えることが果たして可能なのか・・・というとても大事な議論が白熱しました。時間が足り中、私たちに多くの課題を投げかけられた交換会でした。
	−Asian Women’s United
特に事務所や恒常的な活動をしているわけではなく、アジア系アメリカ人女性のエンパワーを目的とした本の出版、ビデオの制作といったプロジェクトが立ち上がるたびに女性たちが集まって活動しているようです。私たちは創設者の1人、イレイン・キムさんのお宅にお邪魔したのですが、メンバーが集まって現在取り組んでいるビデオの試写をしている最中でした。1984年から2004年の間のハリウッドなどメディアの中でどのようにアジア系アメリカ人が描かれているかを取り上げたドキュメンタリービデオです。これは87年に制作された「Slaying the Dragon」というビデオの内容を新しくしたものです。当時メディアをアジア系アメリカ人の視点で分析した初めてのドキュメンタリービデオは私も一度見たことがありますが、非常に興味深いです。日本のメディアにおいて女性や民族、人種などの描かれ方についても考えさせられます。新しい作品が出来上がるのが楽しみですね。
	◆2月26日日曜日
この日はNGOの個別に訪問ではなく、公的なイベントへの参加となりました。午前中はバークレー駅から一駅はなれたアッシュビーという駅前で行われているフリーマーケットに行ってきました。カリフォルニア大学バークレー校などがあり有る意味で知識階級の住むバークレーの隣町にあるアッシュビーはアフリカ系アメリカ人コミュニティがあり、人種や経済レベルなどでコミュニティが完全に住み分けられている現実を少し感じられました。
	−The Day of Remembranceイベント
日本軍が真珠湾を攻撃した直後の2月、当時のアメリカ大統領ルーズベルトが発行した大統領令によりおよそ120,000人の日系アメリカ人が収容所に強制的に移されました。このことを忘れないでいるための1年に一度のイベントです。詩吟から始まったこのイベントは日本文化が色濃いもので、その理由として強制収用のため「文化」が剥奪されたためそれをも取り戻すことが目的としてあるということです。「文化」はときとして抑圧的になるので日本から参加した私はちょっと居心地の悪い気分にもなった場面もありますが、とにかくすさまじい体験・歴史を生き延びてくれてありがとう・・・と強く思いました。
このイベントが行われたのはジャパン・タウン。ここにあるデパートやホテルは近鉄が所有しているのですが最近売却されてしまったそうです。日系アメリカ人にとって非常に大切な意味のある場所が今後どうなるか気になります。
	−The Vagina Monologues
「あなたのバギナについて聞かせてください」というインタビューを元にかかれた朗読劇。この収益金は女性に対する暴力を根絶するために使われます。今年は特に「慰安婦」サバイバーたちへ収益金が使われ、朗読劇の中にもサバイバーの証言が含まれました。民族、人種、国籍、セクシュアリティ、年齢などさまざまなバックグラウンドを持つ女性たちの「語り」に、笑ったり、涙を流したりしながらの観劇でした。
	◆2月27日月曜日
この日は午前中にNGOを1つ訪問。午後は久々のフリーになりました。みんなでケーブルカーでフィッシャーマンズワーフに繰り出しました。
	−Asian Women’s Shelter
アジア系のDVサバイバーへのホットライン、シェルターサービスを提供しているとっても有名なNGOです。日本人スタッフ富田伸世さんとは北京世界女性会議以来の再会でした。またタイ人スタッフのジーさんのお2人から活動についてお話を聞きました。28言語でのサービスを含む充実した活動にも感動しましたが、徹底した組織内のスタッフ間の平等で公平な関係作りに感動しました。創設者であろうが、運営委員であろうが、教育を受けていようが、いわゆる“公的”な教育を受けていなくても、みんなが平等で、お給料も平等、トイレ掃除も平等だそうです。“公的”な教育でない、個々人の経験も含めてその人の知恵として尊重しあっています。事務所とシェルターが同じ建物の中にあり、助成金申請担当者などもちゃんと当事者サポートなどの現場をいつも感じられるようにしているということです。ヒエラルキーの無い社会を目指すために、自分たちの組織内部から改革をする大切さと徹底さに感激しました。
	◆2月28日火曜日
26日、27日と雨模様だった空も、28日からは持ち直し、電車、バス、徒歩での移動が楽になりました。
	−Women of Color Resource Center
60〜70年代に起こった公民権運動の中の女性の活動に端を発する団体です。経済的な正義を求めること、人種差別への反対、そしてアメリカの外交政策への批判的視点が貫かれています。とっても面白い取り組みは「反戦ファッションショー」。舞台には3つのステージがあり、１つは軍事化されたファッション、2つめは軍事化の中で女性が求められる姿のファッション（愛国的な人、従軍看護婦、軍事工場で働く労働者、性産業で働く女性たちなど）、そして3つめは平和ファッション。400人が入ることのできる会場は満員で入れない人もいたほど。現在製作中のビデオも見せてもらいました。これは「迷彩色」がどのように私たちの日常生活に入り込み、戦争が日常化しているのかということを描いたものです。できあがったら是非日本語にして日本でも紹介したい内容でした。
	−Asian Immigrant Women Advocates
23年間も続くアジア系移民の女性労働者たちのグループ。女性労働者たちがエンパワーして自らの権利を知りそれを勝ち取ることができるような教育プログラムが非常に充実しています。90年代にはウェディングドレスなどを作るメーカーの下請け縫製工場で働く女性労働者（主に中国系）たちが自らを組織して、全米的な運動を繰り広げました。その結果、下請工場で働く労働者たちの権利もメーカーが責任をとらなくてはならない法律が成立するために大きな影響力を果たしました。またホットラインも設立され、それまで解雇などを恐れて沈黙を強いられていた移民女性たちが匿名で電話ができるようになりました。コミュニティに根付いた活動をしていて、事務所があるオークランド周辺は主に縫製産業で働く中国系女性、サンノゼにも事務所がありハイテク産業の製造ラインで働くメキシコ系、ベトナム系、韓国系女性たちへの活動をしているとのことでした。日本でも移住労働者たちへのサポート、また今後FTAなどで看護・介護への移住労働が増えてくると考えられます。何かをしてあげるサービスではなく、コミュニティの組織化と労働者たちのエンパワメントによってお互いがサポートし合える土壌を作ることの大切さを学びました。
	−Generation Five
子どもに対する性暴力を5世代のうちに無くすことを目的としている団体です。これまでに暴力に取り組んできた女性たちの活動は法整備や加害者処罰の厳正化でした。シェルターやホットラインの充実など、それはそれで大変意味のあることですが、Generation Fiveはそのことで暴力が全く減っていないどころか増えている。ということは、違うアプローチの必要性、つまりコミュニティあり方、社会規範を変えていくことが暴力の根絶に必要だということで活動を始めました。本当はとっても長い時間をかけて行われるトレーニングの内容を2時間で大急ぎで概要を聞いたため、とっても濃密な講義を聴いた感じでした。Asian Women’s Shelterの日本人スタッフ富田さんがこの団体のトレーニングを受けて、もしかしたら日本にも紹介してもらえる日が近い将来あるかもしれません。楽しみです。
	◆3月1日水曜日
アジア女性資料センターや女たちの戦争と平和資料館のロゴをデザインしてくださったベイエリアの活動家、ホシノ・リナさんがこの日一日をコーディネートしてくださいました。リナさんのおかげで密度の濃い盛りだくさんの1日でした。
	−Mission Mural Walk
スペイン語を話すラテン系が多く住むミッションという地域には多くの壁画があります。政治的社会的なメッセージをアートを通してコミュニティに伝えます。メキシコの神話を元にしたもの、本を読んでインスピレーションを得たアーティストたちがネパールのこと、アフリカのAIDS問題のことなどを取り上げた絵もありました。もともと壁画アーティストは男性ばかり。女性はアシスタントでした。公民権運動、女性運動などの背景もあり1975年、女性たちの壁がアーティストたちのグループが生まれます。彼女たちが1975年に描いた歴史的な壁画も復元されて残っていました。
	−Mujeres Unidas y Activas
スペイン語で「女性活動家の連帯」という名称のこのグループは、メキシコからの移民女性労働者たちのためのグループ。自分たちの権利を知るワークショップ、ヘルスケアーワークショップのほか、病院の付き添いなどの仕事を得やすいように医療的なトレーニングもボランティアの医者や看護士たちが教えてくれるそうです。家事労働者が尊重されるようにキャンペーンも繰り広げています。現在は州の労働法で「労働」と認識されていない家事労働も含められるように請願書を提出したりする活動もしています。
	−Kearny Street Workshop
アジア系アメリカ人のアーティストたちが自分たちの表現の場を作り出すため活動していますが、もともとチャイナタウンにあったインターナショナルホテルで活動していました。低所得者層の人たちがこのホテルから立ち退きを求められたことへの抗議活動をアーティストたちが始めて以来、活動は世代を超えて続いています。結局インターナショナルホテルは取り壊され、その後転々としながら現在ではミッション地区で他のグループと事務所を借りて積極的に活動を展開。APAtureという年に一度のイベントも表現の場として行っています。
	−National Japanese Amercian History Society
日系アメリカ人の歴史を記録し保存するために活動中。2月26日に参加したThe Day of Remembranceのイベントも主催。この団体の事務所で収容体験のある飯山さんご夫妻のお話を聞きました。また日系アメリカ人だけでなく、ラテンアメリカ人もアメリカ政府によって強制収容されました。その正義を求めた活動についても話を聞くことができました。
	−収容者の体験（飯山さとしさん、ちずさん）
94歳のさとしさん、84歳のちずさんは、とってもお元気でさとしさんは日本語で、ちずさんは英語でお話しを聞きました。さとしさんは広島で小学校から中学校まで過ごし、ちずさんは大分出身です。2人はテキサスのトパーズ収容所で出会いました。二人とも真珠湾攻撃の前からアジア系に対する差別がひどかったことを覚えています。就職差別、結婚も人種を超えてすることはできませんでした。収容所が出来上がるまでお2人とも競馬場の馬小屋で過ごすことを余儀なくされました。収容が決まって5日間のうちに手で持ち運べるだけの荷物しか携行を許されず、ジャズが好きな弟さんがこっそりトロンボーンを運んで、収容所の中でジャズバンドを組んだエピソードや、仕切りもドアも無く便座だけを並べたトイレに、古い食べ物を食べ下痢に苦しむ人が使わざるを得なかったこと。夜中トイレに走る姿すらサーチライトで照らされて監視されていたこと。砂漠の砂嵐の中子どもオムツを一日に3度も洗い直さなければならなかったお母さんの話。お2人はユーモアを交えながら朗らかにお話されますが、聞いていて心が痛みました。日系アメリカ人男性たちは自発的に兵士になることを望み、有名な442部隊としてイタリア、ドイツ、フランスなどで戦いまいた。そのことが認められ戦後の補償法にもつながったといいます。
	−グレース・シミズさん（日系ラテンアメリカ人強制収用について）
グレースさんはお父さんが日系ペルー人で強制収容されました。90年までそのことを知らなかったといいます。収容所に入れられていた人たちの集まりに父親と参加したことをきっかけに日系ラテンアメリカ人の歴史を知り、家族に起こった歴史を記録し記憶しなくては･･･と活動を始めました。日系アメリカ人への補償はラテンアメリカ人には適応されませんでした。グレースさんは2004年に日本に来日されたときにもアジア女性資料センターでお話をしてくださっています。日本ではもちろん、アメリカですら知られていない歴史を伝えることに取り組んでいます。
	飯山夫妻もグレースさんも、９．１１以降イスラム系のアメリカ人、南アジア系のアメリカ人が自分たちと同じ歴史を経験しているのを見て、やはり過去から学び過ちを繰り返してはならないと、活動の重要性をお話しくださいました。
	−ウェスリー上運天さん
ウェスリーさんは“日系”の多様性について、「アイデンティティ」に焦点をあててお話しくださいました。「日系とはこういう人たち」というイメージを実は当人が作り上げているのではなく、他人によって作り上げられている現実があり、自分たちの歴史や経験を自らの手に取り戻すことの大切さについてお話されました。話しの前に、ハワイ出身ということで英語にもなまりがあり、日本語もウチナー口交じりということで、「言葉」は刑務所みたいだとお話されたことが心に残ります。
	−Center for Digital Storytelling
個々人の自分史も公文書と同じように大切な歴史であるということを基本に、個人史をビデオで記録するワークショップを行っています。ここでワークショップを受けてそれまで作っていたビデオ制作の仕方が変わったというホシノ・リナさんがお話しをしてくれました。歴史に残されるものはそのときの権力者の歴史がその人たちの視点で作られる。そうではない自分たちの語りや記憶を残すことでコミュニティの歴史の記録にもつながります。性暴力のサバイバーが自分たちの経験を自ら残していくワークショップも行っています。2月28日に訪ねたGeneration FiveもこのワークショップでDVD作りをしました。男性の性暴力サバイバーたちも声を上げ始めたということです。
	◆3月2日木曜日
ベイエリア最後の1日。1日フリーでした。レインボーフラッグはためくカストロ・ストリート、ヒッピー発祥地ヘイト・アシュベリー、チャイナタウン、サンフランシスコ現代美術館、公立図書館、学生街バークレーなど、参加者は思い思いの場所を散策しました。
私は、イラク人女性9人の話を元にした1人芝居がホテルのすぐ近くの芝居小屋でやっていたので見に行きました。原作の本がお芝居と同じ名前の「9 Parts of Desire」で出版されています。私はまだ本は読んだことがないのですが、お芝居はすばらしいものでした。もしみなさんも機会があったら是非どうぞ！オススメです。
	この日の夜は今回のツアーでとってもお世話になった金美穂さん、美穂さんのお友達で日本太平洋資料ネットワーク（JPRN）の代表、野房あかねさんとオークランドにある美味しい韓国料理を食べに行きました。美穂さんの生い立ちや現在の活動についてお話をお聞きしました。この報告でまとめることのできないくらい大切で濃い内容でした。今年の秋には日本に来られる予定があるとのことですので是非是非美穂さんのお話を聞ける機会を持てるといいなと思っています。
	長い報告になってしまいました。今回のツアーではコミュニティのエンパワーメントから社会そのものを変えていく力を感じました。またグループの内部の力関係を公平にするための徹底した取り組みにたくさんのことを学びました。これからどのように実践していけるのか私たちの力やコミットメントが試されます。日本もアメリカも社会の状況は厳しい中、希望を持って活動している人々と会える機会が得られたことを嬉しく思います。これからもみなさんとつながって活動していけることを願っています。
	松本真紀子
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            <title>韓国スタディツアーから帰ってきました！</title>
            <description>	会員のみなさま
	11月1日から始まった韓国スタディツアーから今日戻りました。
不十分ですが個人的な感想です。
参加者のみなさんからの報告は来年初めに発行される機関誌に掲載予定です。
	今日、キンポ空港で機内に入る前に無料サービスの新聞配布の山に一般紙に混じって「女性ニュース」を配布している韓国にすごーいと思いつつ、新聞を開くとその中に今回のツアーに参加された運営委員の中原道子さんの顔写真が！
出発2日前に韓国と日本のフェミニストたちによる「ジェンダーの視点からみる日韓近現代史」が出版され、韓国でも11月1日に記者会見をしたばかり。「女性ニュース」はハングルでまったく私には判読できませんが、中原さんの写真と一緒に韓国で発刊されたばかりの「ジェンダーの視点からみる日韓近現代史」の写真が掲載されていたのでおそらくそのことが取り上げられたのかもしれません。今回はアジア女性資料センターの会員で、「女性・戦争・人権」学会所属、早稲田大学博士課程の学生のホンユンシンさんがコーディネートをしてくださり、水曜デモでの配布資料準備、プレスリリースの発行などをしてくださいました。そのおかげかもしれません。新聞の記事の内容がわかったらみなさんにお知らせしますね。
	11月1日火曜日：午後の便で韓国へ！
関空から2名、仙台から1名、ソウル在住の1名の現地参加者と羽田発組がホテルで合流。
	11月2日水曜日：
●韓国挺身隊問題対策協議会
韓国で「慰安婦」問題に取り組むみなさんご存知の団体。初代代表のユン・ジョンオクさんも急遽かけつけてくださいました。とても精神の強さを感じさせるオーラを感じ、パワーをもらえるひとときでした。WAM女たちの戦争と平和資料館事務局スタッフの鈴木さわ子さんも参加者の一人で資料館の話しも出ました。挺対協が計画している資料館は、西大門刑務所がある独立公演の一角を提供してもらえるようにソウル市と交渉中だそうです。とっても規模の大きな資料館の話しでしたが、小さくても日本に「慰安婦」にされた女性たちの記憶ととどめ、加害の歴史を残すWAMがあることの重要さを感じました。
●水曜デモ参加
挺対協のみなさんとともに水曜デモに参加。ちょうど「ハンセン病裁
判」の不当判決が出てすぐで原告や支援者の方々の参加や、「在外韓国人国際会議」がありその参加者たちがデモに参加しとても大きなものになりました。私たちは中原さんがアピールしました。ホンユンシンさんがハングルで準備してくれた資料100部は配布してなくなってしまいました。アピールした内容は3つあり、NHK問題、ジェンダーの視点からみる日韓近現代史発行、WAM資料館設立のことです。参加者の一人がデザインして作ってくれたスローガンをアイロンプリントしたおそろいのTシャツを着て参加しました。スローガンは「謝罪と賠償・・・今じゃないなら、いつ？」という言葉をハングル、英語、日本語で書いたものです。
その後ハルモニたちと昼食へ・・・
●ナヌムの家
ハルモニたちより先についた私たちは日本人スタッフの矢嶋さんのガイドで日本軍「慰安婦」歴史館を見せてもらう。この時期の韓国は紅葉がきれいで、ソウルの街中から郊外に移った「ナヌムの家」のまわりも山に囲まれとってもいいすがすがしい空気でした。矢嶋さんは今月20日ごろにハルモニの一人と来日予定だそうです。ハルモニたちが戻ってきたら少しだけお会いすることに。すでに夕飯の時間になっていたので長居せずに帰ってきました。
●「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」スタッフのユン・ミョンスクさんと夕食
ユンさんがどのように「慰安婦」問題に取り組み始めたか個人史と、「委員会」の活動のことなどを聞きました。「慰安婦」であることを最初に名乗り出たキム・ハクスンインタビューに立ち会うことになり民族・階級・ジェンダーの問題に直面し、「女性である私は何ものなのか？」という自分に対する問題を突きつけられたことや、「慰安婦」にさせられた女性たちはみな自立していて自我が強く、今の時代なら活躍しているであろう彼女たちの、「名もない女性たちの人生を知りたい」という気持ちから「慰安婦」問題に興味を持ち始めたと、お話しくださいました。今回のツアーで訪問した団体の女性たちは個人史を交えてお話しをしてくださる方が多く、参加者一同自分の経験を振り返りつつ、いろんな経験や感情を共有できる時間でした。「委員会」の活動も日本でもっともっと私たちが取り組まなければならない課題であることが明確になりました。
	11月3日木曜日：
「女性・戦争・人権」学会の大越さん、井桁さんが参加されました！
●駐韓米軍犯罪根絶運動本部
2000年の「女性国際戦犯法廷」の間に行われた「現代の紛争下における女性に対する暴力国際公聴会」で韓国からレポートのあった「ユングミさん」殺人事件を契機に米軍犯罪被害の被害者支援をするために1992年設立。米軍基地問題に取り組む運動がそれまで男性が中心の民族運動になりがちだった運動だったのが、この運動本部は人権の視点から「安全保障は武力では実現できない。」という明確な思想で被害者によりそった活動をしています。梅香里の射爆場が閉鎖されるなどいいニュースもある反面、ピョンテック基地の拡張がすでに予定されていて、ピョンテックに住む高齢化が進む住民たちが毎日ロウソクを手にして集う「ろうそくデモ」が開かれていることが紹介されました。このピョンテック基地の原型は日本植民地時代の軍事基地です。韓国の基地問題は私たちの戦争責任問題とつながっているのです。
2005年12月11日に平和大行進を予定していて、連帯メッセージを寄せてもらえるように呼びかけています。
素敵な日本人スタッフの宮内秋緒さんにお世話になりました。
●戦争記念館
とーっても大きな戦争賛美の記念館。私たちが訪れた日はちょうど「あぁ、お母さん」展が開かれていました。「銃後を守る女性たち」から戦争に参加するようになった「初の空軍士官女性」たちの歴史まで、描かれていました。広場には戦車やミサイルが並び、そこにバスを連なれてやってくる「社会見学」の子どもたちがよじ登って遊んでいたりして、このように軍事化が一般生活の中に入り込んでくるんだ・・・と感じました。一見する価値ありです。
●トゥレバン
ソウルから車で1時間半ほど北にある議政府（ウィジョンブ）にある基地村の性産業で働く女性たちを支援する団体。1986年から、軍事化と女性の暴力の問題の中で性売買をせざるを得なかった女性たちを支援しています。
とにかく女性たちのエンパワメントに主点をおき、女性たちが自分の力に気づき、自分の力で性産業以外の仕事を見つけられるようにサポートしています。女性たちにはそもそも力が備わっているのだから、介入は最小限にとどめるという方針で、とにかく時間をかけて女性のサポートをしています。現在は女性たちの９０％以上がフィリピン人女性だそうです。
11月26日土曜日に早稲田奉仕園50人ホールでフェミニスト映画祭「FAV連連影展」が開催されます。午後7時からトゥレバンが制作した「わたしとフクロウ」というドキュメンタリーが上映されます。是非お越しください。
ツアー参加者の清水さつきさんがこのドキュメンタリーの日本語字幕を制作中で、この日はこのフィルムを作った監督にも会えました。監督から映画祭へのメッセージももらってきました。映画祭でご覧いただけます。
	11月4日金曜日
この日は韓国の大学で講師を始めたみなさんご存知のキムプジャさんが友人2人と飛び入り参加。とてもにぎやかで楽しい1日になりました。
●梅香里
日本の植民地時代が終わったとたん、米軍により射爆訓練場として過去1951年から使われ続けてきた梅香里は住民の闘争が映画「梅香里」にもなり日本ではとても有名です。この闘争の結果、今年射爆場が閉鎖されることになりました。これは住民闘争の勝利です。今後は汚染調査、土地の回復、そしてそこでの平和公園設立の運動を続けていくそうです。闘争のリーダー、チョンマンギュさんが平和公園のミーティングだったので、主に村長さんと、ＮＧＯ「環境運動連合」のスタッフから現在までのお話とこれからの計画を聞きました。平和公園は「騒音被害裁判」の勝訴で得た賠償金や政府からの資金援助があるそうです。2008年には完成予定と書いてあるパンフレットも準備されていました。海辺を歩きましたが、長いときで1週間に70時間も騒音被害に悩まされていたことが不思議なくらい静かな小さな漁村でした。今後、この土壌の汚染調査の進み具合を注目し続けていく必要があります。
私たちツアー参加者の一部は映画「梅香里」を事前に学習会で見ていました。この中にはチョンマンギュさんのお連れ合いチェさんのインタビューが全く出てこないので、彼女のお話も聞けるといいなーと思っていました。チョンさんが昨年はじめたレストランで働くチェさんにも会えて、雑談程度でしたがお話しが聞けたり、交流できることができました。今後のことを聞くと、「自分たちは非常に貧しい生活を送ってきた。射爆場閉鎖のための闘争が落ち着いたので、これからは貧しい家の子どもたちの支援をしたい」とチェさんはおっしゃっていました。
●女性文化理論研究所のコン・ヒージュンさんのお話
コンさんには韓国女性運動史をお話しいただきました。ここで参加者全員が感動したのは、コンさんが運動史を話した後に「個人的なお話になりますが。聞いてください。」と彼女の個人史を語ってくれたことでした。比較的恵まれた家庭で育ったけれど父親の浮気、自分と夫との間のこと、そして自分の人生を生きていくことを決意して離婚。「今は人生で一番生き生きしていて、楽しいです」とお話いただきました。参加者一同、自分のことを振り返りながらお話を聞いた貴重な時間でした。
	11月5日土曜日
最終日はヨンセイ大学博士課程の坂本千壽子さんがすばらしい通訳をしてくださいました。
●韓国女性労働社会協議会
韓国の女性運動の中でもとっても活動的な女性労働運動。韓国では企業組合など既成の組合があるところには二つ以上の組合を作ることが禁止されていることもあり、未組織の「非正規雇用」女性たちを中心の女性労働者会が各地に9つあり、その中心的な存在がこの「協議会」です。土曜日で本来ならお休みの日に出てきていただきました。女性の雇用安定、雇用の平等、母性保護が3つの中心目的です。徹底して労働者の声を汲み取り、労働者自らの力を付けて、労働者の組織化、政策への提言、キャンペーン活動を行っています。女性の貧困化は日本の問題でもあります。12月6日火曜日には女性ユニオン東京の伊藤みどりさんをお招きして（伊藤さんはアジア女性資料センターの運営委員でもあります）、日本の女性の貧困化や労働運動についてお話を聞く予定です。こちらも是非ご参加ください！
●韓国消費者市民の会
生命の安全のための消費者の権利のために活動するＮＧＯ。食の安全、フェアートレード、持続可能な消費のための活動を行っています。徹底して市場に出回っている商品をチェック。危険性があったり、不正な情報をしていたりするとＲｅｃａｌｌ運動を展開したり、2500人の会員向けニュースレターで情報を発信しています。日本でもＧＭＯの問題や狂牛病の牛肉の問題などあります。何を買って何をたべているのか、自分の消費行動をちょっと反省しました。
●タシハムケセンター
性売買根絶のために活動している「ハン・ソリ会」がソウル市の依頼を受けて2003年に活動を始めました。日本への人身売買被害者のケースもあるそうです。10月に来日したこともあって日本での経験なども織り交ぜながらお話しをしていただきました。どうしてソウル市がそこまで積極的なのか・・・という質問に対しては、「ソウル市は性売買がされている地域を”浄化”して再開発したいと考えた。だからといって女性を追い出すわけにはいかず、女性たちが自ら性産業から離れていることを促せるようにハンソリに相談した」という実情を聞きました。東京都の歌舞伎町はただ性産業から追い出しただけでそこで働く女性たちの将来のことは全く無関心だったけど、ソウル市は「都市再開発」のためとは言え、女性の将来のことを考えている姿勢はまったく東京都と違うことがクリアになりました。やはり女性省が出来て「女性の人権」の視点は広く浸透していることを感じます。
	なかなか聞いたこと、見たこと、感じたことを文字で全部表現するのは難しいですが、スタディツアーで培ったネットワークをこれからも活動に生かせていければと思います。
	訪問団体先の方々を始め、コーディネータをしてくださったホン・ユンシンさん、今回のツアーの協力団体「女性・戦争・人権」学会、そして参加者のみなさんのおかげでツアーを無事に終える事ができました。ありがとうございました。
	松本真紀子
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            <link>http://www.ajwrc.org/modules/wordpress/index.php?p=12</link>
        </item>
        <item>
            <title>ヨルダンスタディツアー報告</title>
            <description>	会員のみなさま 
	ヨルダンスタディツアーから夕べ帰国しました。簡単に報告します。
ツアーの参加者のみなさんも是非一言でもMLに感想を投げてくださ
ると嬉しいです。 
	WAM（おんなたちのアクティブ・ミュージアム）のオープニングイベ
ントに後ろ髪をひかれつつ、国会での郵政民営化や障がい者自立支援
（阻害？）法の行方なども気になりつつ、7月31日に総勢15名で出発
しました。途中、沖縄の高里鈴代さんも合流され、現地に一足早く着
いていた今回のツアーのコーディネーターの清末愛砂さんも含めて
17名の旅でした。 
	アジア女性資料センターのスタディツアーでは始めての中東の国ヨル
ダン。カタールのドーハ空港で飛行機を乗りついでアンマンにたどり
着きました。湾岸の国カタール・ドーハでは長い待ち時間の間無料の
シティーツアーに参加しました。 
	石油よりミネラルウォーターのほうが高いというドーハでは、街中を
歩いている姿は男性ばかり。女性の姿はほとんど見られません。日中
の気温が40度を超える街中の男性の姿も移住労働者ばかりで、違和
感を感じましたが、ヨルダンでは空港に着いた途端、女性の姿も多く
（大都市アンマンはスカーフ無しの女性も多い）、居心地の良さが各
段に挙がりました。 
	ヨルダンは人口の7割近くがパレスチナ難民（１世は時代とともに少
なくなり今では難民キャンプ生まれの世代が多い）を占め、今回もガ
イドさんやバスの運手飲手さん、ホテルのマネージャさんなど会う人
のほとんどがパレスチナ人でした。同時にイラクとも国境を接してい
るため、戦火から逃げてきたイラク人もたくさん住むヨルダン。日ご
ろニュースや新聞で見聞きする侵略戦争がとても身近に感じられるツ
アーでした。人びとはおおらかで優しく、食事もおいしく、気候も暑
いけど乾燥していて過ごしやすいアンマンは今起きている戦争への入
り口となる街でした。 
	パレスチナの話、イラクの話を聞くにつれて、自衛隊という名の軍隊
を持つ日本に住む私が、軍事化の流れにまかせてながらも、あまりに
も戦争という現実と私自身の現実が離れていることによって、無力感
を感じていられることが一つの「特権」であることに気づかされまし
た。私が沈黙している間に次々と人は家を追われ、命を奪われていま
す。そのような思いを抱えて帰ってきた翌日衆院が解散、選挙が9月
に予定されました。次回の選挙で私たちが出す結果は非常に大事なも
のになると感じています。 
	以下、とても簡単ですが報告をします（と思って書いていると結構長
くなってしまいました。時間のあるときに読んでください）。次々号
の機関誌（11月発行予定）に参加者による報告が掲載される予定で
す。 
	8月1日（月）
★ヨルダン女性連合
ヨルダン発の弁護士によって1945年に設立されたヨルダン女性連合
は設立当初から非常にラディカルに活動してきました。それゆえに戒
厳令下のヨルダンで1957年と1981年に無理やり解散させられること
になります。2回目の解散では、アラブ女性会議にモロッコによる侵
略によってその統治下におかれている西サハラの女性も会議に参加で
きるべきだと抗議行動をしたことが原因で解散させられました。その
ときは、不当行為だとして国を訴訟し最高裁で彼女たちの訴えが認め
られ、戒厳令が解除された89年にようやく活動が再開されました。
彼女たちの思想は非常に明確で、社会、経済、政治の問題と女性の問
題は切り離せない。故にすべての問題が解決されなければ女性の解放
もない。という思想からドメスティックバイオレンスのような女性に
対する暴力から、グローバル化の中の女性の移住労働の問題や貧困の
問題まで非常に幅広くとりくんでいます（女性移住労働者はスリラン
カ、エジプト、フィリピン女性が多い）。これからはグローバル化が
女性にどのような影響があるかわかるようなワークショップを作ると
いう話をしていました。 
	有給スタッフが6ヶ月間給料をもらわないで、お金を貯めて購入した
という4階だての白いビルの事務所には女性のためのホットライン
（移住労働者からの電話も多い）、シェルター（法的、心理的、社会
的サポートが受けられる）、ステップハウス、子どもと面会できるス
ペース、職業訓練のための施設（美容師、コンピューター）、ケータ
リングサービスもできるカフェもありました（とっても美味しいお昼
ご飯をご馳走になりました）。ヨルダン国内に10の支部を持ち会員
は10,000人もいます。子どもの権利にも取り組んでいて「子ども議
会」を開催し子どもたちの権利について子どもたちが話し合える場所
も提供しています。 
	ヨルダンでは暴力から逃れるために女性たちが警察に助けを求めて
も、女性たちを「保護」する目的のために女性たちにできる唯一のこ
とが、女性たちを刑務所に入れて「保護」することだそうです。その
ような女性たちの行き場所をヨルダン女性連合は提供し、女性たちの
エンパワーメントのために非常に多岐にわたる活動をしていまし
た。 
	★ヨルダン女性連合が支援するパレスチナ難民キャンプ内の女性セン
ター
ヨルダン女性連合でたくさんの説明をしてくださった副代表のナディ
アさんはパレスチナ難民。ヨルダン女性連合はパレスチナ難民キャン
プの中でもいくつかの女性センターを支援しています。私たちはヨル
ダン女性連合の事務所で長居しすぎてキャンプ内の女性センターには
短時間しか滞在できませんでしたが、学校以外に子どもたちが過ごす
時間を提供しているこのセンターには帰宅前の子どもたちが20名く
らいいて、私たちに「私たちの故郷・パレスチナ」というような歌詞
の歌を歌ってくれました。子どもたちに自分たちの文化を語り継ぐた
めの活動の一つです。そのほかにも暴力がいけないことを伝えるため
の演劇も見せてくれました。この女性センターがあるのはアンマン最
大の難民キャンプ「ウィフダット難民キャンプ」です。難民キャンプ
ができた当時はテントが並んでいたであろう難民キャンプは今では私
たちにはどこからキャンプなのか境目がわからないくらいコンクリー
トの建物が並び、キャンプの中で買い物がすべて住ませられるくらい
です。 
	★ヨルダンタイムズ記者ラナ・フセイニさんの話し
ヨルダンタイムズで始めて「名誉殺人」について報道したラナさんに
会える機会がありました。ヨルダンのバスケットボールやハンドボー
ルのナショナルチーム代表として95年には日本にも来たことがある
というラナさんは長身の素敵な女性でした。 
	最初は「女性問題」に特に注目していなかったラナさんですがヨルダ
ンタイムズの「犯罪」を扱う部署に配属されて、女性が理不尽に犠牲
となる「名誉殺人」について細かく取材を始めるようになり、この不
正義に取り組むようになりました。今では国際的な人権賞を6つも受
賞しています。始めての「名誉殺人」の取材は兄弟に強かんされ、妊
娠、中絶をされ、その後40歳以上年上の男と結婚させられ、6ヶ月後
に離婚された16歳の少女が離婚された日に、もう1人の兄弟によって
殺害された事件でした。ラナさんの話しを聞きながら、家族によって
殺される女性はどこの国でも非常に多いことを考え、「名誉殺人」は
呼ばれ方は違ってもどこの国でも起こっていることだと参加者の一人
が話していました。 
	ラナさんは女性の権利について闘うことから、「反イスラム」、「反
家族」、「西洋かぶれ」と攻撃にさらされていると言います。日本で
も全く同じ論理で攻撃がされている現実を考えると女性たちが情報を
共有して闘っていくことの大切さを感じました。ラナさんの行動の結
果、今では裁判官、医療従事者、警察などへの「女性に対する暴力」
の被害者へのトレーニングも始まったそうです。ラナさんは「私は頑
固ものなので、女性にたいする差別・暴力について書きつづける」と
話してくれました。 
	8月2日（火）
★UNRWA（国連パレスチナ難民救済事業機関）による障がいを持つ子
どもたちのためのリハビリテーションセンター（ウィフダット難民キ
ャンプ内）
パレスチナ難民は自分たちの歴史や文化、誇りを継承するために近親
者同士の結婚が多いため障がいをもった子どもが生まれる確率が2か
ら6％と高いそうです（日本では1から1.5％くらい）。ある家では生
まれた子ども5人がすべて目が見えないことがあったと言います。こ
のリハビリテーションセンターは、障がいに対する意識をかえる（偏
見を無くす）ことや障がいを持った人が生きていけるツール（生きて
いくための技術や車椅子などの道具）を提供することを活動の目的に
しています。96年に設立されたセンターは、キャンプ内の家をすべ
て戸別訪問して障がい者を抱えている家探しなどの調査をすることか
ら活動を始めました。今では100名の子どもたちがこのセンターで学
び、300人が待っている状況だそうです。このセンターを出て普通学
校に通えるようになる子どもたちや大学に進学している卒業生もい
て、今では大学から障がいを持つ子どもたちのための教育を学ぶ学生
がインターンとしてやってくるようになっているそうです。 
	★カフール・アナ協会（ウィフダット難民キャンプ内）
パレスチナのカフール・アナ村出身者の設立した協会です。日本で言
うと「○○県人会」のような組織でしょうか。難民キャンプの中でも
とくに仕事が見つけづらい女性たちのための職業訓練もしています。
美容師、コンピューター、裁縫、編物などの教室があり、講師も女性
たちです。少女たちのプログラムもあるようで、私たちが訪問した日
は少女たちが「修了書」をもらう卒業式の日でした。 
	★ウィフダット難民キャンプ内にあるUNRWAの学校
ちょうど夏休みで子どもたちはいませんでしたが、UNRWAによる女子
高を訊ね校長先生のアドラさんから話を聞きました。10歳から16歳
までの2000人近い子どもたちが通う学校はヨルダンの教育システム
と同じですが、人数が多いため午前中と午後の2回に分けて子どもた
ちがやってきます。午前と午後の間の時間が短いため子どもたちの入
れ替えが大変だそうです。 
	ヨルダンとイスラエルの和平協定が結ばれて以来、ヨルダンの教育の
中からパレスチナの歴史に関係する記述がどんどん少なくなってきて
いるそうです。パレスチナの歴史について特別講義で取り上げようと
すると「つらくて苦しい過去を教えるのではなくて、楽しいことを教
えなければ」と指摘されると言います。日本の歴史教科書問題と重な
りました。今ではパレスチナ人の間のギャップが大きくなっているこ
とが問題の一つだそうです。着の身着のままで逃れてきた難民たちが
どうにか生き延びるために教育を受け、湾岸諸国に出稼ぎに行ったこ
とによりキャンプから離れて比較的恵まれた住環境で生活ができるよ
うになった人たちも増えた結果、自分たちのルーツを伝えることが難
しくなってきているそうです。アドラさんもキャンプの外に暮らす難
民の1人ですが自分たちのルーツを伝えるために娘を2ヶ所の難民キ
ャンプ内の学校に通わせたそうです。「パレスチナ人の離散
（Diaspora）」について考えさせられました。アドラさんはパレス
チナに帰るためにはイスラエル政府から許可証をもらわなくてはなり
ません。自分の国に帰るために自分の国を占領しているイスラエルか
ら許可証をもらわなくてはならないことを、自尊心が許さないとまだ
実現できていません。いつの日かアドラさんが胸を張って自分の故郷
の地に帰ることが出来る日が来ることを願わずにはいられません。
	★パレスチナの民族音楽、舞踊、民話などの調査、収集、継承活動を
するグループ「ハヌーン」
春に咲く「野ばら」を意味する「ハヌーン」という名前のグループで
す。事務所ではなく、代表のムーサさん（本職は医者）の自宅にお招
きいただきました。90年に設立され、口承で伝えられてきたパレス
チナの民族文化を絶やさずに継承するために、難民の1世の人たちか
ら聞き取り、物語や詩、手工芸品を収集しています。設立以来500以
上の公演（ドラマや踊り、歌、演奏など）をボランティアメンバーに
よって行ってきました。ヨルダンだけでなくイラクやレバノン、そし
てヨーロッパでも公演活動をしています。ムーサさんはパレスチナの
人々は故郷を追われて以来、自らの文化を盗まれ、取り上げられ、否
定されてきたと言います。次の世代へ自分たちの文化と誇りを語り伝
えることが目的の「ハヌーン」のメンバーの中には初舞台はオムツが
とれてない2歳のころ・・・と言う人もいました。ムーサさんの自宅
ではビデオを見せていただきました。このビデオはCDでいただいて
きました。いつか上映会ができるいいなぁと思っています。貸し出し
などについてはアジア女性資料センターまでご連絡ください。 
	8月3日（水）
★アンマンから北へ1時間ほど車で行ったところにあるヨルダン最大
のパレスチナ難民キャンプ「バカー難民キャンプ」にあるUNRWAによ
る女性センターと難民キャンプに住む女性Mariamさんを訪問
キャンプに住む女性たちのエンパワメントを大きな目的として活動す
る女性センター。建物はUNRWAから提供されているものの、プログラ
ム実行、人件費、維持費などの活動費は自分たちで作り出すことが必
要とされているので、財政的に困難を抱えています。職業訓練のため
の美容師養成、コンピューター教室、裁縫教室、その他エアロビのク
ラスなどもあります。子どもを持つ母親が仕事をしたりトレーニング
を受けられるように、幼稚園も併設。特に貧しい家の子どもを優先し
て預かっています。その他孤児となった少女たちのためのプログラム
もあり本や衣服を提供しています。私たちが訪問した日は「女性の人
権」についてのワークショップを開いていました。 
	女性センターの後はMariamさんという難民キャンプに住む32歳の女
性のお宅をお邪魔しました。Mariamさんは45歳の夫と、4人の子ども
と一緒に32平方メートルの家に住んでいます。二つの部屋に仕切ら
れ一つはキッチンスペースでした。この32平方メートルのスペース
は「１ユニット」と呼ばれ、難民キャンプに逃れてきた難民に初めに
与えられるスペースでした。キャンプができて数十年がたつ今、パレ
スチナ人たちは大変な思いをして働き続け「1ユニット」をいくつか
組み合わせたり、建て増しをしたりして今では「1ユニット」の家を
当時の姿で見ることは少ないようです。「1ユニット」のままあると
いうことは、貧困の中で暮らしている表れでもあるということです。
アンマンの近くのキャンプに住む難民には比較的働くチャンスもある
のかもしれませんが、アンマンからも遠く離れたところにあるバカー
難民キャンプはもしかしたら働く場所も少なく貧困の中で暮らしてい
る家族が多いのかもしれません。Mariamさん一家の小さな家も数年
前までトタン屋根で覆われていて、寄付をもらってやっとコ
ンクリートの屋根がつきました。17名という大人数で訪れた私たち
を受け入れ、お話しをしてくださいました。 
	コーディネーターの清末さんがバカー難民キャンプ内で子どもたちに
「どこから来たの？」という質問をすると、口々に「バカーキャン
プ！」と答えたそうです。「え？パレスチナ出身じゃないの？」と問
い返すと、「あーそうか。パレスチナ！」と答える子どもたち。世代
が新しくなるに連れ、パレスチナとの距離がどんどん開きます。これ
が政治家が望んでいることなのかもしれません。 
	★イラク人ジャーナリスト、イッサム・ラシードさんのお話し
現在日本でスピーキングツアーをしているイッサムさんが、日本に出
発する前日、ちょうどアンマンに滞在されているところお時間をいた
だいてお話しを聞きました。ビデオカメラを使えるイッサムさんはイ
ラクで起こっていることを記録することが自分の侵略への闘う方法だ
と、2003年からビデオで記録を始めました。私たちにも3つの映像を
見せてくれました。非常に生々しい映像ばかりです。ファルージャで
市民が住む家の窓に発砲しながら、歓喜の声を上げる米兵も映ってい
ました。まるでゲーム感覚です。 
	これまで3回アメリカ軍などによって拘束されカメラを2回取り上げ
られたと言います。3回目の拘束では、アメリカ軍のモスク攻撃に居
合わせ、モスクの中にいた6人が殺され、9人が怪我をしたときでし
た。2004年11月12日のことです。そのとき拘束されたイッサムさん
は拷問を受けました。カメラは没収されるごとに、人からお金を借り
集め、記録を続けています。戦争犯罪を記録するためにイッサムさん
は命をかけてこれからも記録し続けると語っていました。アメリカの
心ある人、そして自衛隊を派兵した日本の良心に訴えて、真実を記録
し伝え続けたいと言います。自衛隊を派兵した日本に住む私は自分の
無力さを感じるとともに、無力だからといって打ちひしがれているこ
とによって、戦争を間接的に支援してしまっているのかもしれない、
とにかく沈黙していることが許されないのだと強く思いました。 
	8月4日（木）
この日はアンマンから西に車で2時間ほど行ったヨルダン渓谷まで足
を伸ばしました。イエス・キリストが洗礼を受けたと伝えられている
「洗礼の地」があります。つまりヨルダン川。小さな川を隔てた向こ
う側にはパレスチナの地が広がります。しかしそこにはイスラエルの
旗が翻っていました。私たちは手続きさえすれば越えられるヨルダン
川ですが、運転手さんをはじめ同行してくれたパレスチナ人たちには
とてつもなく広い広い川です。目の前に広がる故郷を訪ねることが簡
単に許されない現実はあまりにも理不尽で不合理で、なんともやりき
れない思いを感じました。 
	★障がいを持つ子どもたちのためのリハビリテーションセンター
ヨルダン渓谷にあるこのプライベートのリハビリテーションセンター
は3日に尋ねたUNRWAの女子高の校長、アドラさんが代表を務めま
す。「助ける」ためのセンターではなく、自立のための道を開く手立
てを提供するリハビリテーションセンターです。裁縫、古紙を使った
リサイクルペーパー作り、織物作り、モザイク作りなどをしていま
す。アドラさんはUNRWAの学校で午前中働いた後、車で1時間半ほど
もかかるこのリハビリテーションセンターに毎日通っています。この
リハビリテーションセンターは「Community-based
Rehabilitation Center（CBR）」と呼ばれ、コミュニティに根付い
た活動をしています。建物もコミュニティの住人が亡くした息子のメ
モリアルのために寄贈してくれたそうです。私たちが訪問したときは
先生も子どもたちも夏休みで会うことはできませんでしたが、施設を
見学させてもらい、手作りの手工芸品を購入できました。私は耳の聞
こえない少女たちが自分たちの手で作ったラクダの人形を買いまし
た。背中には刺繍のついた鞍がついていてとてもかわいいです。 
	★イラクで活動するCPT（クリスチャン・ピースメイキング・チー
ム）のカナダ人男性グレッグさん
グレッグさんはCPTのメンバーとしてイスラエルのヘブロンやイラク
で活動してきた活動家。グレッグさんのお母さんはポーランド系ドイ
ツ人で第二次世界大戦中に難民としてカナダに逃れてきたそうです。
難民としての大変な体験を聞きながら育ったグレッグさんはそのこと
がCPTの活動に参加するようになった動機のひとつだと言います。イ
ラクの写真を見せてもらいながら説明を受けました。前日に聞いた当
事者であるイラク人ジャーナリストイッサムさんのお話しと、グレッ
グさんの情報満載のお話しでイラクの全体像がとてもよく分かりまし
た。石油が豊かなイラクでも石油の価格は高騰、人々はガソリンを買
うために何時間も何時間も並ぶ必要があるそうです。インフラが完全
に破壊され、電気は停電続きで自家発電機を使うからです。グレッグ
さんに戦争状態にあるイラクで女性に対する暴力について質問をする
と、イラクの特殊部隊によって容疑のかかった男性の妻が逮捕される
ことが増えてきたといいます。妻を逮捕することにより夫をおびき出
すのです。アブグレイブ刑務所の女性も何人かそのような理由から逮
捕されていたそうです。グレッグさんが話しをできた二人の女性は姉
妹で、兄弟が容疑をかけられていたから二人の姉妹が逮捕されていた
そうです。グレッグさんはこれからカナダに2ヶ月間戻り、活動につ
いて各地で話す予定があるということでした。CPTの活動は紛争のあ
る地に赴き暴力の目撃者となり、目撃者が存在することによって暴力
を抑制する、また目撃したことを人に伝えることを目的としていま
す。3ヶ月ほどの赴任のあと、2ヶ月ほどの休みがあり各地で話す機
会を作るそうです。 
	8月5日（金）
この日はアンマンでの予定を終えて、ツアー参加者全員で死海へ移動
しました。死海の向こう側にはパレスチナの地が広がります。夜には
対岸の町の灯が見え、どれがパレスチナ自治区の明かりでどれがイス
ラエル入植地の明かりだろう・・・と言い合いました。この日の夜は
沖縄から参加された高里さんや今回コーディネートをしてくださった
清末さんの話をみんなで聞きながら、ツアーを終えました。 
	清末さんがこれまで培ってきた人とのつながりのおかげで今回のツア
ーは実現しました。また、スタッフの私の抜けている部分を温かくサ
ポートしてくださった参加者みなさんのおかげでツアーはより有意義
なものになり、無事に終えることができました。本当にありがとうご
ざいました。 
	今回のツアーでは、参加者のお一人がビデオ撮影をされたので、早い
うちにヨルダンツアー報告会を開ければと思っています。また詳しい
内容はこれから検討してお知らせしますので、是非楽しみにお待ちく
ださいね。 
	長い長い報告になってしまいました。次回のツアーは11月に韓国を
予定しています。たくさんのみなさんとご一緒できると嬉しいで
す。 
	松本真紀子 
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            <link>http://www.ajwrc.org/modules/wordpress/index.php?p=7</link>
        </item>
        <item>
            <title>カンボジアスタディツアー報告</title>
            <description>	会員のみなさま
	3月26日から4月3日まで20名でカンボジアスタディツアーに行ってき
ました。
	国際子ども権利センターの代表でアジア女性資料センターの長年の会
員さんでもある甲斐田万智子さんと、運営委員の清末愛砂さんの親友
でカンボジア在住6年半の中川香須美さんという素晴らしいコーディ
ネーターお二人のおかげで、非常に充実した内容のツアーでした。
	最高気温が40度近くにもなるカンボジアから戻ってまだ頭も体も日
本になじむのに時間がかかりそうですが、頭がカンボジアモードのう
ちにツアー報告を簡単にします。参加者のみなさんによるツアー報告
は次々号の機関誌（夏号）に掲載される予定です。お楽しみに！！！
	みなさんもご存知の通り、カンボジアはクメールルージュ時代、また
その後の長い内戦から現在復興の真っ只中です。日本の戦後の復興時
代を私は知らない世代ですが何が違うのだろう・・・と考えました。
おそらくカンボジアの戦後の復興は凄まじいグローバル化から自由で
はありえないということだと思います。市場主義経済の暴力的な参入
により貧富の差はますます拡大し、公的であるべきセクターも次々と
民営化され、外国資本により土地が次々と取り上げられ土地無し農
民は激増、想像を絶する貧困が生み出すのは搾取的移住労働、人身売
買、女性の商業的性搾取、そしてDVや強かんのような少女や女性に
対する暴力。そして政治、司法、公的権力の腐敗。
	カンボジアの人権活動家たちが直面している問題は本当に巨大で、で
もそのカンボジアに巨額の資金援助をしているのは日本政府です。元
女性大臣のムーソクアさんはその日本政府に税金を払っている私たち
に、資金には感謝するが、資金援助とは量よりその質が問われる。資
金がどのように使われているかモニターすることも納税者の責任では
ないかと言われました。
	また、今回のツアーで痛烈に感じたことは、カンボジアで出会ったす
べての人が何らかのかたちでクメールルージュ期の暴力、虐殺、紛争
によって大きな影響を受けているという現実でした。「戦争」が表面
的に終わったように見えても、その「戦争」を生き抜いてきた人びと
の心の中の「戦争」は続いているように感じました。
	大きな問題が山積するカンボジアですが、そこで出会った人権活動家
の女性たち、男性たちが正義のために闘っている姿を見て、とても勇
気付けられ、私たちのこれからの活動に力をもらってきたツアーでし
た。
	下記に各団体について簡単に報告します。
	&amp;#8212;&amp;#8211;カンボジアスタディツアーの簡単な報告&amp;#8212;&amp;#8212;
	3月26日（土）：日本→カンボジア移動
	3月27日（日）
★甲斐田万智子さんと中川香須美さんからレクチャー。
これからカンボジアのNGOを訪問する前の事前レクチャーは、事前に
たくさんの知識を持っていなかった私にはとても有意義なものでし
た。
★夕方、クメールルージュ時期に政治犯を収容し拷問場所に使われた
学校跡の「トゥールスレーン博物館」に行きました。収容者のたくさ
んの写真の中には幼い子ども、赤ちゃんとその母親も混じっていまし
た。グラウンドには学校だったことを偲ばせる鉄棒などもありました
がそれまでも拷問道具に使われたそうです。甲斐田さんによると数年
前までまだ血の匂いがしていたそうです。ちょっと言葉を失うような
場所でした。
	3月28日（月）
★ADHOCカンボジア人権開発協会
クメールルージュ期の元政治犯トン・サライさんによって設立された
NGOです。事務局長と女性局のモニーさんにお話しを伺いました。人
権（女性の人権）、民主主義、法の支配の3つをテーマに教育、調
査、女性保護、アドボカシーの4つの活動を行っています。今一番大
きな問題は「土地問題」。権力者が農民から土地を取り上げ、そのこ
とが貧困や人の移動を引き起こしているそうです。また政治、教育、
病院でも賄賂が横行し、「汚職」が大きな障害になっているといいま
す。
女性局のモニーさんはクメールルージュ期に強制結婚させられた女性
です。クメールルージュによる強かんからモニーさんを守るためにお
じいさんはモニーさんを水がめにいれて隠したといいます。両親や兄
弟は殺されてしまいました。ADHOCは人権団体とは言え、「女性の人
権」も尊重されるべき人権であるということが男性スタッフになかな
か理解されず、強い反発があった中、辛抱強く訴え続けようやく「女
性局」を設立。それでも予算がまわってこない、内部での差別などが
あるそうです。また強制結婚させられた夫はモニーさんの活動をなか
なか受け入れてもらえず当初ADHOCの事務所まで乗りこんできてモニ
ーさんを罵ったりしたそうですが今では理解していると言っていまし
た。文字で表しづらいのですが、このモニーさんは強い信念を持った
とても素敵なフェミニスト活動家でした。
	★AFESIPのAartiさんとランチ
AFESIPのAartiさんは、カンボジアで買春で捕まった日本人男性「カ
ナエマサト」のことを中心にお話しを聞きました。「カナエマサト」
は買春宿に押し入ったカンボジア警察に2003年に捕まり裁判にかけ
られましたが、おそらく金銭で弁護士などを買収し保釈され、日本に
帰国しました。一緒に買春宿に居たベトナム人の少女たちはAFESIP
のシェルターに迎えられたそうです。押収された証拠の中には本人が
少女たちを強かんするビデオがあったにもかかわらず、偶然カンボジ
アに来ていた日本の警察や日本大使館も全く協力的ではなかったとい
います。AFESIPに滞在していたベトナム人の少女たちへのインタビ
ューも拒否したそうです。にもかかわらず日本の警察は8ヶ月後に再
びAFESIPに来て少女について訪ねてきました。もちろんAFESIPは少
女たちをそんなに長い間泊めておくこともできずにベトナム人少女た
ちはベトナムに帰国した後でした。現在も日本大使館を通して「カナ
エマサト」を訴追するように働きかけているけれど返事はないそうで
す。
カンボジアの新聞では大きくとりあげられていた事件ですが日本の私
たちは全く知らず、おそらく「カナエマサト」は何もなかったかのよ
うな顔をして日本社会で生活しているのかと思うと非常に腹立たしい
思いがします。カンボジアの観光客は韓国人についで日本人が第2
位。買春客は「カナエマサト」一人ではないでしょう。日本で私たち
に何ができるか考えていきたいです。
	★DC-Camドキュメントセンターカンボジア
クメールルージュ期に起こったことを記録するセンターです。文書
（公文書、日記など書かれたもの）、モノ（当時使われていたりした
もの）、そして被害者の声（オーラルヒストリー）の3つを中心に収
集しています。カンボジアで唯一名乗り出た、クメールルージュによ
る強かんの被害者Tam Kimさんのドキュメンタリービデオを見せても
らいました。Tam Kimさんが受けたような「女性に対する暴力」をク
メールルージュ法廷で訴追の対象となるようにしたいということでし
た。代表のチュハンさんに「このような活動に取り組む動機はなんで
すか？」という問いかけをしたところ、「母親のためです」という答
えが返ってきました。クメールルージュ期に子どもだったチュハンさ
んは妊娠していた姉のために食べ物を盗んだことがあるそうです。そ
のことでチュハンさんはクメールルージュから罰として鞭打ちを母親
の前で受けました。そのとき母親は立ち去ってしまったそうで、母親
に対して憎しみを覚えたそうです。しかし当時「泣くこと」すらク
メールルージュによって禁止されていたため、チュハンさんの母親は
鞭打ちを受けているチュハンさんから立ち去ることで「泣く」罪によ
ってもっとひどい罰を受けることから家族を守ったのだとチュハンさ
んは後になって知りました。カンボジアにいるすべての母親が同じよ
うな体験をしているといいます、チュハンさんのいう「母親」とはカ
ンボジアにいるこのようなすべての母親のことでした。
	★Womyn&amp;#8217;s Agenda for Change
縫製工場で働く女性たちが仕事が終わってかけつけてくれました。ジ
ーンズで有名なアメリカのリーバイストラウス社の工場がたくさんあ
るそうです。ひどい労働環境の中、非常に低賃金で働かせられていま
す。そのような中、アメリカ政府による割り当て制度（カンボジアか
らある一定の衣料を輸入するという制度）が終わり、縫製工場は次々
と閉鎖を余儀なくされ、仕事を失う女性たちも増えているそうです。
英語ですがとても詳しいプレゼンテーションがホームページからダ
ウンロードできます。http://www.womynsagenda.orgでGarment
Workers（1.8mb）をクリックしてみてください。
ここではセックスワーカーのグループ、「Women Network for
Unity」のメンバーからも話しを聞きました。現在深刻な問題はセッ
クスワーカーに対する集団強かんと「Tenofovir」という抗HIV薬の
実験台としてセックスワーカーが使われることだそうです。「集団強
かん」についてのビデオを見せてもらえました。この問題の深刻な点
は、集団強かんをしている男たちが相手がセックスワーカーという
ことで「犯罪を犯している」という意識がないこと、また司法に訴え
たとしてもセックスワーカーの訴えがまともに取り合われないことで
す。この後、買春宿のある通りをグループのメンバーと訪問しまし
た。ピンクのライトで入り口が照らされ、女性たちは入り口の外に並
んで座っていました。私は30歳を過ぎたらどうなるのか聞いてみた
ら、クズ拾いもしくは家政婦になることという返事でした。警察によ
る嫌がらせも多発しているようですが、彼女たち自身によるパレード
などもプノンペンで開かれ、相互サポート、自分たちのエンパワメン
トなどに力を入れる団体です。
	3月29日（火）
★CWDAカンボジア女性開発協会
一昨年、アジア女性資料センターでお話しをしてくださったキエン・
スレイ・パルさんが代表の団体です。事務所の建物の中に職業訓練の
クラスがあり、織物や英語、タイピング、コンピューター、電話対応
スキルなどのクラスを開いています。徹底して女性のエンパワメント
やコミュニティビルディングに力を注いでいるグループです。コミュ
ニティが知識を得て、力をつけることによって、自分たちのために必
要な情報センターを作ったり、人身売買からコミュニティを守った
りする力をつけられることを指摘されていました。
	★HCC子どものためのヘルスセンター
少女や女性の人身売買の防止活動と被害にあった少女たちの保護活動
をしています。シェルターにクラス子どもたちと一緒にランチを食べ
ました。私たちツアー参加者たちで「シャボン玉」の歌を歌い、折り
紙でおった風船や参加者が持参した紙風船、本当のシャボン玉などま
で持参されていた方もいらっしゃい楽しいひとときでした。また篠笛
と尺八を持参している参加者による演奏も披露されました。その後
HCCの子どもたちによって、人身売買防止のためのロールプレイによ
るパフォーマンスを見せてもらいました。HCCの子どもたちが経験し
た実話が元になったものです。それぞれに将来の夢を聞いたら、先生
になりたい、弁護士になりたいという意見がでて、教員が多い参加者
の中には「日本で同じくらいの年代の子どもたちに聞いたらあまり将
来に夢の持てない社会なりの答えしか返ってこないかもしれない」と
いう感想もありました。
	★AFESIP困窮する女性たちのために行動する会
1996年にカンボジア人のソマリさんとフランス人生物学者ピエール
さんによって設立された団体です。ソマリさんは海外から多くの人権
賞を与えられるほどの活動家です。少女や女性の人身売買の防止活動
と被害にあった女性たちの保護活動をしています。41号の機関誌
「特集：人身売買」に甲斐田万智子さんによって紹介された「カンボ
ジア：人身売買に対する取り組みと立ちはだかる壁」の中に、
AFESIPのシェルターが襲撃されそこにいた少女や女性たちが連れ去
られた事件が紹介されました。人身売買が組織犯罪であり、カンボジ
アのNGOの活動家たちが命を張って活動していることが示された記事
ですが、その困難の中とにかく被害にあった女性たちの人権を考えて
活動している団体です。
	★この日の夜はオプションで中川香須美さんが教鞭をとる、大学の
「ジェンダー学」に参加しました。カンボジア人、ツアー参加者を交
えた3つのグループに分かれてディスカッションをしました。ジェン
ダー学を学んでいるカンボジア人の男子学生たちは「ジェンダー」の
問題に対して模範回答で答えてくる学生が多く、彼ら自身の声を聞け
ることができないような気がしました。ただ女子学生の中には「自分
の母親、祖母の年齢のみなさんがこうして女性問題のことに関心をも
ってカンボジアまで来られていることにとても勇気付けられました」
と話す学生もいました。いろんな意味で考えさせられる時間でした。
	3月30日（水）
★LSCW女性と子どものための法的支援
人身売買に関する調査について主に話しを聞きました。この日まで女
性の性的搾取のための「人身売買」に焦点を当てて話を聞いていたの
ですが、この日男性の人身売買について紹介されました。特にタイ国
境を越えたトラート州へ漁業のために連れていかれる男性たちのこと
です。本人たちはお金を払って仕事を紹介してもらっているため自分
たちが「人身売買」の被害者だと自覚はしていないが、調査によると
そこには契約の不履行やとんでもない搾取が横行し、「人身売買」と
呼ばざるを得ないような状況だそうです。そしてそのような男性がた
くさん集まる場所には女性たちが性搾取を目的に集められているとい
うことでした。また、法的支援を行う団体として、人身売買で1例、
強かんで4例これまで勝訴したということでした。ただし、勝訴する
には目撃者や医学的な証拠が必要で、カンボジアでは体内に残った精
液を検出する技術などが無いため非常に難しいそうです。強かん事件
で勝訴した裁判の被害女性はいずれも10歳前後の幼い少女だったそ
うです。どこの団体でも指摘されましたが最近「強かん」の報告が非
常に増えているそうです。中には父親が娘にたいして、もしくは祖父
が孫娘に対する強かんも増えています。LSCWのスタッフによると、
この強かんの増加の背景には、本当に増えているのか、それとも告発
する女性が増えたために強かんが増加しているように見えているのか
分からないということでした。
	★CDPカンボジア弁護団体
コーディネーターの中川香須美さんがスタッフとして働いている団体
です。人権侵害を受けた人たちのための法的支援のために弁護活動を
行っています。代表、人身売買局、女性局の方々から話を聞きまし
た。「民主主義」を武器ではなく「司法」によって実現することが目
的です。そのために?無料の弁護支援、?法の普及活動、?法律作
り、すでにある法律の改正のためのアドボカシーの3つが大きな活動
内容です。クメールルージュの幹部「キュー・サンパン」氏までも法
的支援を求めてきたといいます（断ったそうです）。法的支援を求め
てきた場合、まずすることはその人たちが法的にどのような権利を持
っていて、どのように法的に守られるかということを知ってもらうこ
とだそうです。日本においても、私たちは法によってどのように取り
締まられるかということばかり知っていて、私たち自身法によってど
のように守られ、どのような権利があるかということは知らされてい
ないと気づかされました。
	★夜は再び中川さんの大学に訪問。今回は大学院の「国際人権論」の
授業で参加者の一人中原道子さんが「女性国際戦犯法廷」についての
レクチャーです。学生はその前のクラスで「女性法廷」のビデオを
見、またこれからクメール・ルージュ法廷も開かれるということでと
ても興味を持って議論が行われました。中原さんの話で私が個人的に
もっとも印象に残ったのは、国際法も一般の法律も殆どが男たち（白
人）が作ってきたもの。もし使える法律がないのであれば私たち自身
で作っていくべきだということでした。日本でも男女雇用機会均等法
やDV法、子ども買春ポルノ禁止法も女性たちの運動で勝ちとってき
たのだ、と今更ながら感じました。
	3月31日（木）
★元女性大臣ムーソクアさん
女性の人権のために闘い続けるムーソクアさんのインタビュー記事
（http://www.globalfundforwomen.org/work/trafficking/garden-of-evil.html）
を事前に読んでいた参加者一同、とっても楽しみにしていたムーソク
アさんとの面会でした。当日もバスで片道8時間もかけて村人の話を
聞いて戻ってきたところというようなお忙しいところお話を伺うこと
ができました。人身売買について、政治について、家族との関係につ
いて・・・たくさんのお話でここに書ききれませんが、彼女は自分の
魂が安らげるためには、カンボジアの女性たちすべての魂が安らぐこ
とができなくては安らげない。だから闘い続けているのだという言葉
が印象に残っています。
	★女性メディアセンター
女性たちによる女性の人権のためのメディアセンターです。メディア
キャンペーン、ネットワーキング、ラジオ放送、テレビ放送を行って
います。いくつかテレビで放映されたものを見せてもらいました。ジ
ャッキーチェンがユニセフ大使でカンボジアに来たときに作られた
HIV・AIDS防止キャンペーン広告は、コンドームのアニメとジャッキ
ーチェンがカンフーでHIV/AIDSと闘ったり、カラオケビデオにもパ
ートナーは一人にしよう、コンドームで自分を守ろうというメッセー
ジを流したり、とても有効ななりかただなぁと思いました。テレビを
見ることができない遠隔地の村にはテレビモニター、ビデオデッキ、
小さな発電機を持ちこんでビデオで村人に見てもらうそうです。村長
さんに、ミーティングをするといっても集まらないが、ビデオを上映
すると言うと５ｋｍも離れた村からも人がやって来ると感謝されたそ
うです。ただ、クメール語でしか放送がないことや資金的にすべて援
助に頼っていることが、これからどのように持続可能な活動を続けら
れるか、カンボジア国内の他の民族の人も考慮した活動にしていける
かの課題かもしれません。
	4月1日（金）
前日の夜プノンペンからアンコール遺跡で有名なシェムリアップに移
動しました。
この日はまるまる1日観光でアンコールワットやアンコールトムを回
りました。モニィさんというツアーガイドの方は、クメールルージュ
に父親を殺され、内戦中に徴兵されるのを避けるために歩いてタイ国
境の難民キャンプに逃れた男性です。難民キャンプにいるときに日本
語を勉強したという日本語はとても上手でした。アンコールワットの
中に内戦中の銃痕を見つけたり、アンコールトムの遺跡のレリーフに
子どもを片手に銃をもう一つの手に担いで進軍する女性の姿を見て複
雑な思いがしました。
	4月2日（土）
朝はバスで1時間ほどのバンテアイ・スレイというお寺を訪ねまし
た。このお寺までの道のりには内戦中に多くの地雷があり90年代中
旬までは「バスで観光」などとは言えない状況だったそうです。
	★クメール伝統織物研究所
日本人の男性が、カンボジア内戦で途絶えていたカンボジア伝統の織
物の復興と保存のために始めた活動です。女性たちがたくさん織物を
していました。今では500人ほどの女性たちが糸を紡いだり、染織、
機織りなどに従事しているといいます。
	★アキラ地雷博物館
ボランティアで地雷除去作業を棒切れ一本で続けているカンボジア人
「アキラさん」の私的地雷博物館。手作りの博物館には活動に感銘し
たボランティアがいつも何人かいるそうです。たくさんの地雷が並べ
られ、それは内戦中のものもあれば、ベトナム戦争中のアメリカ軍に
よる爆弾もありました。地雷の数は1000万以上あると言われていま
す。まだまだ全てが除去されているわけでもなく、今でもたくさんの
カンボジア人が子どもも含めて犠牲になっています。しかし参加者の
一人がおっしゃっていた「地雷は危ないがそこにじっとしていて取り
除くことができる。でももっと恐いのは人間だ」という言葉が忘れら
れません。
	ある参加者は、カンボジアでは貧困、女性に対する暴力などたくさん
お問題があるが、主語を「日本では・・・」に置き換えてもいいくら
い日本でも同様の問題があると指摘され、その通りだと思いました。
	日程が長かったため、訪問団体も多く、簡単な報告がこんなに長くな
ってしまいました。読んでくださってありがとうございました。
	今年度のツアーはヨルダン、韓国を考えています。ツアーでは本当に
短期間でアジア各国の女性活動家と出会うことしかできないかもしれ
ませんが、暴力的な経済のグローバル化と闘うことは、人とつながる
ことによってしか成し遂げられないようにも思います。また、一人で
はあまりにも微力で押しつぶされそうになることもありますが、人と
出会うことでがんばり続けることができます。
	ツアーの訪問先で出会った人たちだけでなく、ツアー参加者同志の出
会いもとても貴重です。私も今回も参加者のみなさんから多くのこと
を学びました。
	これからもアジア女性資料センターでは、機関誌、ツアー、セミナー
を通して人とつながって行けるといいなと思います。これからもどう
ぞよろしくお願いします。
	松本真紀子

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            <link>http://www.ajwrc.org/modules/wordpress/index.php?p=6</link>
        </item>
        <item>
            <title>香港スタディツアー報告</title>
            <description>	会員のみなさま
	10月30日から11月3日まで香港スタディツアーに行ってきました。簡単な報告で
すがもし時間があれば読んでみてくださいね。詳しくは、今回の参加者による報
告が次々号（2005年2月ごろ発行予定）に掲載されます。
	今回のツアーでは、香港在住で長年の会員の小出雅生さんに大変お世話になりま
した。また、香港の女性団体AAF（Association of Advancement of Feminism）
のチャバオさん、メーベルさん（今年の初め日本にこられたときにセンターでイ
ベントを行いました）にもお世話になりました。
	また参加者のみなさんには私の不手際にもかかわらず、最後まで協力的に参加く
ださり本当にありがとうございました。もし時間があったらこのメーリングリス
トに感想を投げてくださると嬉しいです。
	松本真紀子
	&amp;#8212;
10月30日
香港空港に到着後、香港歴史博物館に向かう。中国返還後に作られたという博物
館は古代から現代までの香港の歴史（アヘン戦争、日清戦争、日本による侵略・
占領、戦後の復興など）がビジュアルに展示されてとてもわかりやすかったです。
強く感じたことは、香港はこれまでに一度も「中国の一部」という位置付けを香
港に住む人たちは感じてこなかったのではないか、いつも対等な関係（現実がど
うだったかは別として）を取りながら中国本土が困っているときは支援をしたり
難民を受け入れたりしてきたのだということでした。これから中国返還後、どの
ような道を進んでいくのだろう・・・と感じます。
香港歴史博物館を今回のツアーに入れたのは、ツアーで女性団体でまわるだけだ
と、香港と日本の歴史的な関係が落ちてしまうと思ったからでした。日本占領時
代の写真や軍票、タバコの箱などの展示を見ながら、2000年の法廷で作った「慰
安所」マップでは香港に慰安所があったこともわかっているので、香港で60年以
上前に起こったことを考えさせられました。
	10月31日（日）
AMC（アジア移住者センター）
アジア地域で移住者のサポート団体、移住労働者自身の団体などをネットワーク
する団体です。アジア22カ国とのネットワークを持ち毎年各国の移住労働者の状
況をまとめた報告書を制作しています。移住労働者を支援して「あげる」という
運動のあり方ではなく、移住労働者自身がエンパワーされて自ら組織化すること
を目指しています。活動戦略には4段階のレベルがあり、?移住労働者の尊厳を
回復するサポート（カウンセリング、クライシスセンター、虐待への補償回復）、
?移住労働者みずからの組織化、?政策提言（地域、国家レベル、国際レベル）
やそのためのデモ、?人が移住労働者とならざるを得ない原因への取り組み（貧
困、政治の腐敗、失業問題）であると説明されました。昨年の7月に、移住労働
者権利条約が発効したがその批准国のほとんどは移住労働者の送り出し国で、日
本を初め受入れ国が批准していないことが問題であるということでした。
紹介された活動はたくさんあるのですがその中で一番「すごい！」と思ったこと
は、移住労働者が個人個人で一月1000円とか1500円とか積み立て、出身国への投
資に使うというものです。例えば、フィリピン人（14万人以上香港に住む）がお
金を出し合って自国に投資をし、それで有機農場を経営したりするというものな
どです。これまでの「開発」のあり方を変える方法として革命的にすごい！と思
いました。
	この日の午後移住労働女性たちが唯一の休日を集まって過ごす場所を訪ねました。
香港島のビルが立ち並ぶ中のビルの1階の広いスペースには1000人を超えるフィ
リピン人女性が集まり、ビニール製の敷物に座り、ご飯を食べたり、おしゃべり
をしたり、トランプで遊んだりしていました。その後、主にインドネシア人女性
たちが集まる公園に行きました。そこでも多くの女性たちがバレーボールをした
りバドミントンをしたりしていました。移住労働者の多くはドメスティックヘル
パー（家事労働）をしています。法律で雇用主の家に住み込むことが条件となっ
ており、週に1度の休み（取れるとは限りませんが）を同じ言葉で話す女性どう
しが集まっている姿に、自国に自分の家族を残し、異国に他人の家族の世話をし
に来なければならない、国と国の間の貧富の差、国内部における貧富の差に取り
組む必要性を強く感じると同時に、日本がこれからフィリピン人介護労働者への
門戸をあけようとしていることに、私はどのように考えてればいいのだろうかと
複雑な思いを抱えました。
	夜はAMCB（Asian Migrants Coordinating Body）という香港内の移住労働者をサ
ポートし、ベトゥンハウスというシェルターを持つグループを訪ねました。突然
解雇されたり暴力を受けて逃げ出したり、行き場を失った女性移住労働者を受け
入れるシェルターです。インドネシア、スリランカの労働者のグループの女性た
ちが集まってくれました。
自国で香港で働くことを仲介してくれるブローカーに大金を払い、その借金を返
すために初めはほとんど給料から天引きされるか、無給で働かされることもある
そうです。インドネシアの場合では、仲介ブローカーとローン会社が裏で繋がっ
ていることもあったり、政府関係者がビジネスで仲介ブローカーをやっているこ
ともあるらしく、それでも香港ではたらく女性移住労働者の組織化をしながら自
分たちの権利を取り戻す運動を続ける力強い女性たちでした。
	11月1日月曜日
午前中は紫藤という「セックスワーカー」支援グループを訪ねました。カラフル
なコンドームがぶらさがり、スローガンが書いてあるTシャツ、バナーなどが飾
られた元気のいい事務所でした。香港では、「セックスワーカー」の存在は違法
ではありませんが、客引きは違法という矛盾した状態があり、警察がおとり捜査
で「セックスワーカー」を摘発することがよくあるそうです。紫藤も活動をはじ
めたきっかけは、警察からの嫌がらせに困っている「セックスワーカー」支援か
ら始まりました。特に部屋を借り上げて自営でしている「One apartment One
woman」と呼ばれる女性たちと路上で立って客を待つ女性たちを支援しています。
部屋を借り上げている女性たちは地元香港の女性たちで、路上の女性たちは中国
本土からの女性たちがほとんどだそうで、立場がより弱い状況だそうです。女性
が貧困から解放され性産業を選ばない社会が望ましいのではないか、という質問
に対して、「そうあることが私たちのHopeでもあるが、今置かれている女性たち
の状況をなんとかしなくてはなりません」と答えていました。
	午後は群福というDVサバイバーの支援グループを訪ねました。一人のソーシャル
ワーカー以外すべてサバイバーが運営委員、メンバーを構成しているグループで
す。当事者支援よりスタッフ中心主義的なDV支援になりがちなところ、群福は徹
底して当事者が運動の中心になって活動しています。12人のメンバーが自らが群
福でどのような活動をしているのか話してくれました。自分たちで社会福祉省に
掛け合い、生活保護政策、公的居住施設に優先的に入れるような政策などを変え
させ、コミュニティエデュケーションとして自らの話しをしに出向き、ホットラ
インで電話相談を受け、自分たち自身がエンパワメントされながら運動の担い手
となる姿にツアー参加者一同感銘しました。
アジア女性資料センター機関誌38号の73ページに今回のツアーのコーディネーター
小出雅生さんから紹介されていた中国本土四川省から来た家族で夫が妻子3人を
殺害したDV事件（天水園事件）では、被害者となった女性と同じシェルターにい
たという方から詳しいいきさつを聞くことが出来ました。彼女たちの抗議行動の
結果、警察は詳細な調査をはじめることになり、その結果報告が11月8日に発行
されるそうです。彼女たちのパワーと行動力に女性運動のあり方を考えさせられ
る3時間でした。
	11月2日
午前中は特に外国人女性の「セックスワーカー」をサポートするNGO、青鳥を訪
ねました。12年前に設立された当初、毎週ストリートの同じ場所に同じ時間に出
向いていって、そこにたっている女性たちとの関係作りからはじめたそうです。
そこでとくに健康の問題などの情報提供からはじめました。今では元「セックス
ワーカー」によるピアエデュケーションやニュースレター発行などをしています。
「法的権利をしるために」という冊子は中国語（簡体字、繁体字）、英語、タイ
語で発行しています。日本でも歌舞伎町のお店に出向いて同じような活動をしよ
うとしたらすぐ追い出されるかも・・・という問いに対して、「お店の経営者や
客引きとの関係作りは、私たちの活動はビジネスを脅かすものではない。女性た
ちが健康に気をつけたら営業もよりよくなるでしょう？」というようなアプロー
チで、経営者側との関係作りにも心がけているそうです。支援者が提供したいサー
ビス、情報をではなく、セックスワーカーが必要だというサービス、情報を提供
することが大切だと、ここでも当事者中心の活動が強調されました。
	午後初めに、Gutsy Womenという大学時代に出会った女性たちの若いフェミニス
トグループに会いました。反ダイエットキャンペーン、反痴漢キャンペーンなど
に力を入れています。ある電話の広告で女性の体（顔は見えなくて胸からひざま
で）が使われたポスターでは女性に対する性暴力を促進するとして抗議行動を行
いました。記者会見、デモ行動、署名活動などをした結果、新聞への「謝罪広告」
を勝ち取ったといいます。若い女性たちだけではじめたグループは、既存の女性
団体とは違ってフレキシブルな運動ができるが、日本も香港も世代を超えて運動
を次に引き継いでいくことが課題だということも話されました。
	11月2日は最後に、AAF（Association for Advancement of Feminism）主催のミ
ニシンポジウムが開催されました。香港からはAAF設立当初からのメンバー陳さ
ん（現在嶺南大学教授）、AAFメンバーで地方議会フェミニスト議員のガムガム
さん、AAFメンバーでAAFの中のサブグループ「女性、カラダ、空間」で、運動が
個人から離れたところで行われていることを考え、安全な場所、信頼できる空間
を作り自分のカラダ相手のカラダを目隠しをして探り合うというワークショップ
などをしているグループの主催者Callyさん3人からお話しがありました。
	陳さんからは香港の女性運動の歴史について話しがあり、1947年に社会福祉、政
治参加などのみに焦点をあてた上流階級の英語を話す女性たちによる女性団体が
できたけれども、草の根の女性運動が生まれたのは1980年代で、AAFは1984年に
できたそうです。これらの女性団体の特徴は中国語を使って、地元の文脈で、草
の根の運動から生まれたこと。この運動が民主化運動とあいまって発展してきた
ことなどが話されました。新界の女性たちが90年代に女性の土地の相続権を勝ち
取るための闘いのビデオ上映がありました。現在では、さまざまな背景を持つ女
性たちの多様な運動があり議論を深めながら女性運動が活動しているということ
です。
	フェミニスト議員のガムガムさんからは、伝統的な地方議会の女性が「チアリー
ダー」的な存在であったことを指摘し、ガムガムさんが10ヶ月前に議員になって
以降、地元の都市再開発問題に取り組む住民たちとの運動から見た経験をもとに
お話しがありました。地元の「お金持ちの主婦」たちが最初は自分のため、家族
のために取り組んだ運動に関わっていくうちに、自分自身に自信をつけ、コミュ
ニティのため、社会のための運動といったように視点が広がっていくプロセス、
自分自身を変革し、それが社会の変革につながる素晴らしさをシェアしてくれま
した。また最後に持論の「女性的政治理論」について紹介され、女性として議員
になって、「優しすぎる、もっと主張しなくちゃ、交渉力が必要」などと言われ
てきたが、女性として「人の話しをよく聞き、みんなの声を含めて、現実の権力
構造を認識しながら」する政治活動によって、問題そのものは解決できなくても、
個人個人の不満、恨みつらみなどは感情的に解決できることもある。「私は人々
とともに活動していきたい。人々の前にたつことも、後ろに控えることもなく。」
と締めくくられました。実は日本人の私たちからみたらガムガムさんは十分アサー
ティブなので、彼女の口から「女性的政治理論」を聞くのはちょっとコミカルで
もあったのですが、理論そのものはその通りだなぁと思いました。ちなみに、ガ
ムガムさんはシンガーソングライ