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第7回やより賞・やよりジャーナリスト賞決定!!

2011/10/19

第7回 女性人権活動奨励賞(やより賞)贈呈対象者が、厳正な審査の結果、 決定いたしました。

【やより賞】
Sarasvathy Muthu(サラスワティ・ムトゥ)さん/マレーシア・人権活動家

長年、貧困に苦しむ人々の人権のために闘い続け、92年にAlaigal(タミル語で波)組織化以後は、女性労働者、ことに寡婦のための権利獲得や、強制立ち退きに対する長年の闘いの結果、貧しい農民たちの土地獲得など目覚しい成果を挙げてきた。また、草の根の貧しい女性労働者の教育や組織化に力を尽くし、平等な権利のために懸命な努力を続けてきた。

【やよりジャーナリスト賞】

イトー・ターリさん/パフォーマンス・アーティスト
性的マイノリティ、「慰安婦」、沖縄など、社会構造的問題のなかに置かれた女たちの声を表現者として聞き取り、対話手法のパフォーマンス・アートとして発表を続けている。

岸本眞奈美さん/編集者、プロジェクト・プランナー
被差別部落民としてカムアウトし、雑誌編集、イベント主催、生活支援や役所への抗議活動までのあらゆる手法を駆使し、鋭い切り口で日本社会の主流派一般人による日常的差別の実態を世に知らしめ、改善するための活動を続ける。

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── や よ り 賞 2011 贈 呈 式 ── どなたもご自由にご参加ください
12月3日(土)午後1時半より 早稲田奉仕園 AVACO内チャペル
参加費無料 主催 NPO法人女たちの戦争と平和人権基金
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★こちらから、贈呈式案内チラシ(pdfファイル)をダウンロードできます:
http://www.wfphr.org/yayori/topics/20111114.html ───────────────────────────────────

贈呈者プロフィール:
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 【やより賞】Sarasvathy Muthu(サラスワティ・ムトゥ)
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サラスの愛称で知られている。地域に根ざした彼女の活動歴は17歳で進歩的キリスト教青年部に参加した時からスタートした。女性工場労働者の苦境が、労働組合の組織化にサラスを駆りたてた。1990年代に、仲間たちと、ペラ州に拠点を置くAlaigal(タミル語で波)という地域 グループを結成。地域オルガナイザーとして手腕を発揮し、プランテーション労働者、都市移住者、都市のスクウォッター、農業従事者、労働者など、多くのコミュニティを組織し、彼ら・彼女らの権利について教育し、あらゆる抑圧に対してコミュニティが団結して立ち向かうようにエンパワーメントしてきた。
1998年に創設されたマレーシア社会党(PSM)の立ち上げメンバーの一人で、現在マレーシア社会党の副議長を務めている。
マレーシアにおける公正な選挙制度を求めるBersih2.0という運動に関わり、本年7月9日のデモを呼びかけたことで、悪法として知られる緊急条令による34日間の独房への身柄拘束を強いられた。

サラスワティさん滞在中のその他の講演予定は[こちら]をご覧ください。

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 【やよりジャーナリスト賞】 イトー・ターリ
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1973年から身体が介入して成立するアートに関心を持つ。1982~86年オランダでパフォーマンスを始め、フェミニズムやセクシュアル・マイノリティの人権について考える。1994年東京でウィメンズアートネットワーク(WAN)を立ち上げ、「女性によるアート」の環境作りをめざす。「越境する女たち21」展(2001)、韓国の現代アーティストやナヌムの家との交流ツアー(2002)を企画。1996年には「自画像」でレズビアンであることをカムアウトし、以降、セクシュアル・マイノリティをテーマに展開。
2006年元日本軍「慰安婦」の金順徳さんへのオマージュ「あなたを忘れない」を発表し、それ以来、沖縄の基地を含め、戦時から現在に至る軍事下の性犯罪を暴くパフォーマンスを展開。2003年から PA/F SPACE を設立、運営。

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 【やよりジャーナリスト賞】岸本眞奈美(きしもと・まなみ)
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被差別部落に生まれる。経済的問題で少しでも早く働かなくてはならなかったが、解放奨学金制度で保育専門学校を卒業。
民間の保育所で、在日差別や障がい児差別に取り組み、人権保育を実践。その後、ひょうご部落解放・人権研究所の職員として機関誌「ひょうご部落解放」の取材、編集に関わる。だれも取り上げなかった視点で沖縄、アスペルガー症候群、ハンセン病などを特集。停滞気味だった販売部数を驚異的に引き上げ、売り上げに貢献。
2002年2月末から約1ヶ月間、狭山事件の新たな展開を求め企画された、ボブ・ディランに狭山の歌を突撃依頼のために渡米。その日々の健闘はホームページで「GoGo岸本─ボブ・ディランへの道」として発信され、大きな話題を呼ぶ。日本の司法に失望していた人たちの心に勇気を与えた。転んでもただでは起きない性格は、渡米の中で知り合ったNPO団体や大学教授との関係を深め、アリゾナのオール・ピープルズ・パワーズ・サミットで部落差別を当事者が初めて訴えることに成功させた。
2010年夏には、被差別者の子どもたちの多様性を体感させるためのロジャーズサマースクールをプロデュース。同年、がんの治療を続けながら、アメリカ在住の在日コリアンのグループ、Eclipse Risingの「連帯・教育ツアー2010」をサポート。
被差別の視点を持つ、草の根ジャーナリストとして、さまざまなメディアを通じて、表現活動を展開している。

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