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2006/2/25~3/4 北米ベイエリア・スタディツアー報告

2006/03/07

会員のみなさま

北米ベイエリアスタディツアーから戻ってきました。
簡単に報告します(いつも簡単に書こうと思って長くなってしまいます。暇なときに読んでくださると嬉しいです)。参加者のみなさんからも是非是非、感想やコメントなどありましたらこのML上で共有していただけると嬉しいです!詳しい報告は次号機関誌に参加者みなさんの言葉で書いていただける予定です。ご期待くださいね。

今回のツアーはベイエリア在住のアジア女性資料センターの会員、金美穂さんの多大なご協力とアドバイスによってできあがりました。またアジア女性資料センターのロゴをデザインしてくれたホシノ・リナさん、Okinawa Peacefightersでも活動していて高里さんとも活動をしているハワイ出身の沖縄系アメリカ人のウェスリー上運天さん、ガブリエラネットの溝口展子さんにも大きな協力をいただきました。本当にありがとうございました。感謝しています。

移動はすべて公共の交通機関で行い住民の生活の足を使うことで人々の暮らしを少し感じられました。15名を超える参加者が訪問先とのミーティングの時間に遅れないようにお互いのサポートのおかげで、電車やバスを乗り継ぎながら誰1人迷子になることなく怪我もなく無事に帰国できました。参加者のみなさん、どうもありがとうございました!

◆2月25日土曜日
時差の関係で25日の夕方成田を出発したのに、サンフランシスコ国際空港に到着したのは同じ日25日の早朝というお得感。でも、アジア女性資料センターのツアーはそこでゆっくりなんてしていません。早速到着当日から活動家たちと交流が始まりました。

-GABRIELA NETWORK
フィリピンの女性団体ガブリエラと連帯する全米組織。私たちはベイエリアのサンフランシスコやバークレー支部のメンバーと会いました。ちょうど、フィリピンでは戒厳令が出た直後。メンバーはみんな前日からフィリピン政府への働きかけや情報収集に忙しくしていたときに時間を作ってくださいました。
フィリピンの踊りを披露してくれたあと、アジア女性資料センター側から運営委員の中原さんから「国民基金」について、会員で参加者のホン・ユンシンさんから沖縄の基地問題についてお話したあと、フィリピンの人身売買や人権問題などについてガブリエラのほうからお話いただきました。フィリピンでは政治犯の数は年々少なくなっているという現実の裏側に、毎年多数の政治犯たちが殺されている現実があるということです。
「慰安婦」問題への女性たちの取り組み、基地問題などに関して、議論は「男性」が作ってきた法への適応や言葉で表現することの限界への挑戦、「国家」をどうとらえるのか、女性たちの連帯が「国家」を超えることが果たして可能なのか・・・というとても大事な議論が白熱しました。時間が足り中、私たちに多くの課題を投げかけられた交換会でした。

-Asian Women’s United
特に事務所や恒常的な活動をしているわけではなく、アジア系アメリカ人女性のエンパワーを目的とした本の出版、ビデオの制作といったプロジェクトが立ち上がるたびに女性たちが集まって活動しているようです。私たちは創設者の1人、イレイン・キムさんのお宅にお邪魔したのですが、メンバーが集まって現在取り組んでいるビデオの試写をしている最中でした。1984年から2004年の間のハリウッドなどメディアの中でどのようにアジア系アメリカ人が描かれているかを取り上げたドキュメンタリービデオです。これは87年に制作された「Slaying the Dragon」というビデオの内容を新しくしたものです。当時メディアをアジア系アメリカ人の視点で分析した初めてのドキュメンタリービデオは私も一度見たことがありますが、非常に興味深いです。日本のメディアにおいて女性や民族、人種などの描かれ方についても考えさせられます。新しい作品が出来上がるのが楽しみですね。

◆2月26日日曜日
この日はNGOの個別に訪問ではなく、公的なイベントへの参加となりました。午前中はバークレー駅から一駅はなれたアッシュビーという駅前で行われているフリーマーケットに行ってきました。カリフォルニア大学バークレー校などがあり有る意味で知識階級の住むバークレーの隣町にあるアッシュビーはアフリカ系アメリカ人コミュニティがあり、人種や経済レベルなどでコミュニティが完全に住み分けられている現実を少し感じられました。

-The Day of Remembranceイベント
日本軍が真珠湾を攻撃した直後の2月、当時のアメリカ大統領ルーズベルトが発行した大統領令によりおよそ120,000人の日系アメリカ人が収容所に強制的に移されました。このことを忘れないでいるための1年に一度のイベントです。詩吟から始まったこのイベントは日本文化が色濃いもので、その理由として強制収用のため「文化」が剥奪されたためそれをも取り戻すことが目的としてあるということです。「文化」はときとして抑圧的になるので日本から参加した私はちょっと居心地の悪い気分にもなった場面もありますが、とにかくすさまじい体験・歴史を生き延びてくれてありがとう・・・と強く思いました。
このイベントが行われたのはジャパン・タウン。ここにあるデパートやホテルは近鉄が所有しているのですが最近売却されてしまったそうです。日系アメリカ人にとって非常に大切な意味のある場所が今後どうなるか気になります。

-The Vagina Monologues
「あなたのバギナについて聞かせてください」というインタビューを元にかかれた朗読劇。この収益金は女性に対する暴力を根絶するために使われます。今年は特に「慰安婦」サバイバーたちへ収益金が使われ、朗読劇の中にもサバイバーの証言が含まれました。民族、人種、国籍、セクシュアリティ、年齢などさまざまなバックグラウンドを持つ女性たちの「語り」に、笑ったり、涙を流したりしながらの観劇でした。

◆2月27日月曜日
この日は午前中にNGOを1つ訪問。午後は久々のフリーになりました。みんなでケーブルカーでフィッシャーマンズワーフに繰り出しました。

-Asian Women’s Shelter
アジア系のDVサバイバーへのホットライン、シェルターサービスを提供しているとっても有名なNGOです。日本人スタッフ富田伸世さんとは北京世界女性会議以来の再会でした。またタイ人スタッフのジーさんのお2人から活動についてお話を聞きました。28言語でのサービスを含む充実した活動にも感動しましたが、徹底した組織内のスタッフ間の平等で公平な関係作りに感動しました。創設者であろうが、運営委員であろうが、教育を受けていようが、いわゆる“公的” な教育を受けていなくても、みんなが平等で、お給料も平等、トイレ掃除も平等だそうです。“公的”な教育でない、個々人の経験も含めてその人の知恵として尊重しあっています。事務所とシェルターが同じ建物の中にあり、助成金申請担当者などもちゃんと当事者サポートなどの現場をいつも感じられるようにしているということです。ヒエラルキーの無い社会を目指すために、自分たちの組織内部から改革をする大切さと徹底さに感激しました。

◆2月28日火曜日
26日、27日と雨模様だった空も、28日からは持ち直し、電車、バス、徒歩での移動が楽になりました。

-Women of Color Resource Center
60~70年代に起こった公民権運動の中の女性の活動に端を発する団体です。経済的な正義を求めること、人種差別への反対、そしてアメリカの外交政策への批判的視点が貫かれています。とっても面白い取り組みは「反戦ファッションショー」。舞台には3つのステージがあり、1つは軍事化されたファッション、2 つめは軍事化の中で女性が求められる姿のファッション(愛国的な人、従軍看護婦、軍事工場で働く労働者、性産業で働く女性たちなど)、そして3つめは平和ファッション。400人が入ることのできる会場は満員で入れない人もいたほど。現在製作中のビデオも見せてもらいました。これは「迷彩色」がどのように私たちの日常生活に入り込み、戦争が日常化しているのかということを描いたものです。できあがったら是非日本語にして日本でも紹介したい内容でした。

-Asian Immigrant Women Advocates
23年間も続くアジア系移民の女性労働者たちのグループ。女性労働者たちがエンパワーして自らの権利を知りそれを勝ち取ることができるような教育プログラムが非常に充実しています。90年代にはウェディングドレスなどを作るメーカーの下請け縫製工場で働く女性労働者(主に中国系)たちが自らを組織して、全米的な運動を繰り広げました。その結果、下請工場で働く労働者たちの権利もメーカーが責任をとらなくてはならない法律が成立するために大きな影響力を果たしました。またホットラインも設立され、それまで解雇などを恐れて沈黙を強いられていた移民女性たちが匿名で電話ができるようになりました。コミュニティに根付いた活動をしていて、事務所があるオークランド周辺は主に縫製産業で働く中国系女性、サンノゼにも事務所がありハイテク産業の製造ラインで働くメキシコ系、ベトナム系、韓国系女性たちへの活動をしているとのことでした。日本でも移住労働者たちへのサポート、また今後FTAなどで看護・介護への移住労働が増えてくると考えられます。何かをしてあげるサービスではなく、コミュニティの組織化と労働者たちのエンパワメントによってお互いがサポートし合える土壌を作ることの大切さを学びました。

-Generation Five
子どもに対する性暴力を5世代のうちに無くすことを目的としている団体です。これまでに暴力に取り組んできた女性たちの活動は法整備や加害者処罰の厳正化でした。シェルターやホットラインの充実など、それはそれで大変意味のあることですが、Generation Fiveはそのことで暴力が全く減っていないどころか増えている。ということは、違うアプローチの必要性、つまりコミュニティあり方、社会規範を変えていくことが暴力の根絶に必要だということで活動を始めました。本当はとっても長い時間をかけて行われるトレーニングの内容を2時間で大急ぎで概要を聞いたため、とっても濃密な講義を聴いた感じでした。Asian Women’s Shelterの日本人スタッフ富田さんがこの団体のトレーニングを受けて、もしかしたら日本にも紹介してもらえる日が近い将来あるかもしれません。楽しみです。

◆3月1日水曜日
アジア女性資料センターや女たちの戦争と平和資料館のロゴをデザインしてくださったベイエリアの活動家、ホシノ・リナさんがこの日一日をコーディネートしてくださいました。リナさんのおかげで密度の濃い盛りだくさんの1日でした。

-Mission Mural Walk
スペイン語を話すラテン系が多く住むミッションという地域には多くの壁画があります。政治的社会的なメッセージをアートを通してコミュニティに伝えます。メキシコの神話を元にしたもの、本を読んでインスピレーションを得たアーティストたちがネパールのこと、アフリカのAIDS問題のことなどを取り上げた絵もありました。もともと壁画アーティストは男性ばかり。女性はアシスタントでした。公民権運動、女性運動などの背景もあり1975年、女性たちの壁がアーティストたちのグループが生まれます。彼女たちが1975年に描いた歴史的な壁画も復元されて残っていました。

-Mujeres Unidas y Activas
スペイン語で「女性活動家の連帯」という名称のこのグループは、メキシコからの移民女性労働者たちのためのグループ。自分たちの権利を知るワークショップ、ヘルスケアーワークショップのほか、病院の付き添いなどの仕事を得やすいように医療的なトレーニングもボランティアの医者や看護士たちが教えてくれるそうです。家事労働者が尊重されるようにキャンペーンも繰り広げています。現在は州の労働法で「労働」と認識されていない家事労働も含められるように請願書を提出したりする活動もしています。

-Kearny Street Workshop
アジア系アメリカ人のアーティストたちが自分たちの表現の場を作り出すため活動していますが、もともとチャイナタウンにあったインターナショナルホテルで活動していました。低所得者層の人たちがこのホテルから立ち退きを求められたことへの抗議活動をアーティストたちが始めて以来、活動は世代を超えて続いています。結局インターナショナルホテルは取り壊され、その後転々としながら現在ではミッション地区で他のグループと事務所を借りて積極的に活動を展開。 APAtureという年に一度のイベントも表現の場として行っています。

-National Japanese Amercian History Society
日系アメリカ人の歴史を記録し保存するために活動中。2月26日に参加したThe Day of Remembranceのイベントも主催。この団体の事務所で収容体験のある飯山さんご夫妻のお話を聞きました。また日系アメリカ人だけでなく、ラテンアメリカ人もアメリカ政府によって強制収容されました。その正義を求めた活動についても話を聞くことができました。

-収容者の体験(飯山さとしさん、ちずさん)
94歳のさとしさん、84歳のちずさんは、とってもお元気でさとしさんは日本語で、ちずさんは英語でお話しを聞きました。さとしさんは広島で小学校から中学校まで過ごし、ちずさんは大分出身です。2人はテキサスのトパーズ収容所で出会いました。二人とも真珠湾攻撃の前からアジア系に対する差別がひどかったことを覚えています。就職差別、結婚も人種を超えてすることはできませんでした。収容所が出来上がるまでお2人とも競馬場の馬小屋で過ごすことを余儀なくされました。収容が決まって5日間のうちに手で持ち運べるだけの荷物しか携行を許されず、ジャズが好きな弟さんがこっそりトロンボーンを運んで、収容所の中でジャズバンドを組んだエピソードや、仕切りもドアも無く便座だけを並べたトイレに、古い食べ物を食べ下痢に苦しむ人が使わざるを得なかったこと。夜中トイレに走る姿すらサーチライトで照らされて監視されていたこと。砂漠の砂嵐の中子どもオムツを一日に3度も洗い直さなければならなかったお母さんの話。お2人はユーモアを交えながら朗らかにお話されますが、聞いていて心が痛みました。日系アメリカ人男性たちは自発的に兵士になることを望み、有名な442 部隊としてイタリア、ドイツ、フランスなどで戦いまいた。そのことが認められ戦後の補償法にもつながったといいます。

-グレース・シミズさん(日系ラテンアメリカ人強制収用について)
グレースさんはお父さんが日系ペルー人で強制収容されました。90年までそのことを知らなかったといいます。収容所に入れられていた人たちの集まりに父親と参加したことをきっかけに日系ラテンアメリカ人の歴史を知り、家族に起こった歴史を記録し記憶しなくては・・・と活動を始めました。日系アメリカ人への補償はラテンアメリカ人には適応されませんでした。グレースさんは2004年に日本に来日されたときにもアジア女性資料センターでお話をしてくださっています。日本ではもちろん、アメリカですら知られていない歴史を伝えることに取り組んでいます。

飯山夫妻もグレースさんも、9.11以降イスラム系のアメリカ人、南アジア系のアメリカ人が自分たちと同じ歴史を経験しているのを見て、やはり過去から学び過ちを繰り返してはならないと、活動の重要性をお話しくださいました。

-ウェスリー上運天さん
ウェスリーさんは“日系”の多様性について、「アイデンティティ」に焦点をあててお話しくださいました。「日系とはこういう人たち」というイメージを実は当人が作り上げているのではなく、他人によって作り上げられている現実があり、自分たちの歴史や経験を自らの手に取り戻すことの大切さについてお話されました。話しの前に、ハワイ出身ということで英語にもなまりがあり、日本語もウチナー口交じりということで、「言葉」は刑務所みたいだとお話されたことが心に残ります。

-Center for Digital Storytelling
個々人の自分史も公文書と同じように大切な歴史であるということを基本に、個人史をビデオで記録するワークショップを行っています。ここでワークショップを受けてそれまで作っていたビデオ制作の仕方が変わったというホシノ・リナさんがお話しをしてくれました。歴史に残されるものはそのときの権力者の歴史がその人たちの視点で作られる。そうではない自分たちの語りや記憶を残すことでコミュニティの歴史の記録にもつながります。性暴力のサバイバーが自分たちの経験を自ら残していくワークショップも行っています。2月28日に訪ねたGeneration FiveもこのワークショップでDVD作りをしました。男性の性暴力サバイバーたちも声を上げ始めたということです。

◆3月2日木曜日
ベイエリア最後の1日。1日フリーでした。レインボーフラッグはためくカストロ・ストリート、ヒッピー発祥地ヘイト・アシュベリー、チャイナタウン、サンフランシスコ現代美術館、公立図書館、学生街バークレーなど、参加者は思い思いの場所を散策しました。
私は、イラク人女性9人の話を元にした1人芝居がホテルのすぐ近くの芝居小屋でやっていたので見に行きました。原作の本がお芝居と同じ名前の「9 Parts of Desire」で出版されています。私はまだ本は読んだことがないのですが、お芝居はすばらしいものでした。もしみなさんも機会があったら是非どうぞ!オススメです。

この日の夜は今回のツアーでとってもお世話になった金美穂さん、美穂さんのお友達で日本太平洋資料ネットワーク(JPRN)の代表、野房あかねさんとオークランドにある美味しい韓国料理を食べに行きました。美穂さんの生い立ちや現在の活動についてお話をお聞きしました。この報告でまとめることのできないくらい大切で濃い内容でした。今年の秋には日本に来られる予定があるとのことですので是非是非美穂さんのお話を聞ける機会を持てるといいなと思っています。

長い報告になってしまいました。今回のツアーではコミュニティのエンパワーメントから社会そのものを変えていく力を感じました。またグループの内部の力関係を公平にするための徹底した取り組みにたくさんのことを学びました。これからどのように実践していけるのか私たちの力やコミットメントが試されます。日本もアメリカも社会の状況は厳しい中、希望を持って活動している人々と会える機会が得られたことを嬉しく思います。これからもみなさんとつながって活動していけることを願っています。

松本真紀子

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