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香港警察、始めての放水

2005/12/24

WTOの閣僚会議の宣言文が採択される可能性が出ていた香港で、韓国の
農民を主としたデモ参加者と警察の間で大きな衝突になりました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051218-00000004-jij-int

http://hk.news.yahoo.com/wto/index.html

午後3時ごろから、ヴィクトリア公園でいろんな歌や余興などをして集
まっていた参加者が午後4時ごろから列を成してデモを始めました。
私は4時40分ごろ、デモ隊の最後尾が公園を出るのを見送りましたが、
その10分後には、最初の衝突が携帯に知らされてきました。

その後、予定されていたデモのコースの最終地点を初め、その道への
分かれ道で、右に曲がるところ、韓国のデモ隊が警察の警備を突破
し、直進を始めました。その後、まったく予想していなかった警察側
は、デモ隊に交通整理されるように次々と交差点を突破され、その
後、さらに2手に分かれたデモ隊と予定の最終地点の3箇所から、WTO会
議の会場、コンベンションセンターをはさむような形で、交差点を突
き進みました。

予定の最終地点と西にまわったデモ隊は、警察が消防署から借りてき
た放水車で押し返されましたが、しかしそれでも、3メートル近くある
鉄の柵が基礎ごとはがされ、そこからの突破も試みられましたが、阻
まれました。また、ワンチャイフェリー乗り場横のフラミン通りに来
たデモ隊は、コンベンションセンターへの橋まで、交差点一つ、距離
にして百数十メートルまでに迫りました。そして、双方とも激しくぶ
つかり合いました。そして、デモ隊は、警察の警備用の鉄の柵を足で
折り曲げ、鉄パイプ状にして応戦し、しまいには、実際に、その交差
点を突破されそうにまで押されました。

確か7時半だったと思いますが、それまで催涙スプレーで応戦していた
警察側が、催涙弾を打ち込み始め、デモ隊を押し返し始めました。そ
の後も小競り合いが続きましたが、9時過ぎに再び催涙弾が打ち込ま
れ、デモ隊は表通り(グルースター通)にまで押し返され、一塊になっ
て、約900人程度が警察に囲まれながら対峙していました。

その間、午後6時過ぎから地下鉄のワンチャイ駅・コーズウェイ駅が通
過になり、駅も閉鎖されました。また、香港島と九龍をむすぶ、トン
ネル3本のうち2本も封鎖され、その地区を通るすべてのバスが止まり
ました。その後、11時近くに回復し、午前2時まで営業の延長が図らま
した。

その後、午前2時20分ごろだったと思いますが、長い沈黙の後、警察側
が、再度、残されたデモ隊をさらに囲む警備配置をし、その上で、英
語、広東語ですべてを一人ずつ逮捕する旨のアナウンスがされ、警察
と刑務所のバスが到着すると、一人ずつプラスティック製のバンドに
よって簡易に手錠をされて乗せられ、向かい岸にある観糖の警察署に
移送され始めました。また、移送直後から観糖の裁判所で交流手続き
がはじまめられました。

逮捕者の総計は、おそらく900名ぐらいだと思われますが、午前8時現
在、逮捕も拘留手続きも終わっておりません。逮捕開始から5時間たっ
た今も、多くの人はそのまま、コスター通りで座り込んでいます。

今現在、警察官17名を含む、84名が負傷し、内5名が入院しておりま
す。

今日も午後2時から、HKPA主催のデモが予定されています。

一方、WTO香港宣言案ですが、綿花の輸出について、2006年補助金をな
くすことについてはほぼ合意に至ったようですが、農産品全般では、
アメリカとEUの対立が埋まらず、2010年と2013年とが併記されている
と聞きました。ただ、抗議行動の報道に多大な時間が割かれ、それは
それで大切ですが、会議の様子が伝わりにくい状態です。

今回の出来事は、WTO関係では今までで最も平和裏な抗議行動なのでし
ょうが、香港にとりましては、警察が催涙弾を使うのはおそらく37年
ぶりでしょうし、天安門事件以降、弾圧の口実にさせないために、平
和デモの原則を築いてきた香港には相当ショックだと思います。おそ
らく、年配の方は60年代の反英暴動や89年の天安門事件を思い出して
いると思います。香港ヤフーのネット投票でも、デモ隊を支持する人
が12%減りました。

今回、学んだ事をこれからどうつなげてゆけるかでしょう。すぐにこ
の影響があるとは思えませんが、昨日、通りかかったレストランで、
親に欲しいオレンジジュースを買ってもらえなかった子どもが「抗
議!抗議!」とこぶしをあげていました。さすがに学習が早いです。

では、ひとまず

ちょ@香港

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