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【COVID-19とジェンダー】COVID-19は私たちに、ネオリベラリズムの何を教えてくれているのだろうか?

2020/06/15

COVID-19とジェンダー 翻訳記事

ネラ・ポロヴィック・イサコヴィック(WILPFコーディネーター)

 

COVID-19のパンデミック(感染症の大流行)が、これまでとてつもなく長い間私たちの社会の様々な側面を支配してきた体制による、悪しき影響を浮かび上がらせているといえるだろう。資本主義体制の中でも経済的思想としてのネオリベラリズムは、私たちの社会における公共サービスを縮小させている。また、教育やヘルスケアを利益至上主義のビジネスへと変貌させ、仕事内容を過小評価し不当な低賃金で人々を働かせることで、利益を貯めこんできた。また、それは人間の安全保障や幸福よりも、世界を軍事化させることで得られる収益性を支持させ、人々と国同士の間での不平等をより一層深刻化させてきたのである。

そして、今回のパンデミックの渦中、ネオリベラリズムが及ぼしてきた影響の全貌が明らかになりつつある。その全貌というのは、全ての国や地域、そして人々が、ネオリベラリズムの影響を同じように受けるわけではないということである。つまり、人と物理的に距離をとったり、家で仕事をしたり、子どもを自宅学習させたり、必要なものを買いだめしたり、健康管理をしたり、パンデミックが落ち着いた後、財政的に(また心理的にも)元の生活を取り戻すことは全て、階級・ジェンダー・年齢・地理的要因に依存しているということである。

 

私たちは今、岐路に立っている

しかし、影響の規模が異なるとしても、私たちが直面する問題というのは似通っている。雇用に影響があるのは明らかだろうし、実際に企業は解雇の勧告を行っている最中である。また、女性の肩にかかっているケアの仕事の負担というのは、既にかなり大きいものとなっている。それに、世界中に向けて緊急事態を宣言している現状は、私たちの自由や人権にも影響を及ぼすだろう。つまり、私たちが活動できる範囲というのはそれぞれに異なってくるということだ。しかし、私たちは(今までのところ)ウイルスの活動に対してどうにも対処ができていない。その一方で、この機会を利用して、私たちの社会を変革していくことを始めることが出来るはずである。私たちが地域・地方・国・グローバルレベルで迫られている選択肢というのは、それぞれの国や人自身に責任を帰するネオリベラリズムのマントラや、“資本主義の招く災厄(disaster capitalism)”に私たちが屈してしまうかどうかということである。もしくは、私たちがこの機会を利用して、(このまま何もしなければ、危険だし誰も望まない状態になってしまうが)団結と平等、そして環境と仲間である人類に配慮した社会を作っていくかどうかということだ。これから私たちが始められることは、お互いに、そして環境とも相互に繋がりをもちながら、危機的状況に対応していくということである。そうすることで、私たちは、COVID-19の拡大がもたらした“曲線を平らにしていく”だけでなく、パンデミックがもたらす影響をも平坦にしていくことができるだろう。

 

公共の利益は、常に個人の利益を上回るべきである

利潤と個人の利益は、資本主義とネオリベラリズム的体制をつき動かしている。何十年もの間、公的機関の至らなさやサービスを合理的で、且つ利益をもたらす様に配分することが十分にできていないというような話に、私たちは聞き飽きているはずだ。国際開発金融機関(IFI)は、個人の利益が結果的に全ての人に恩恵をもたらすという理由で、冨を生みだす民間企業の活動から少し距離を置くように各国政府に要請している。そのため、問題が発生した時にしか、政府はその問題に対処しようとしない。それは、“個人の利益と公共の脅威(private profits-public risks)”としか形容することができない公と私の間の非対称的な関係性をつくりだしているのである。

しかし、ここでいう利益がどのようにして人々やコミュニティの幸福をもたらしてくれるのだろうか?スウェーデン、アメリカ、イギリス、レバノン、チリ、南アフリカからオーストラリアに至るまで、世界中の政府は非規制化・緊縮財政、そして公共資源の民営化といった考えで頭がいっぱいなのである。最近公表されたレポートである“Austerity: The New Normal. A Renewed Washington Consensus 2010-24”によると、最も一般的に導入が検討されている政府の措置は、年金と社会保障の変革、労働基本権のより柔軟な解釈、賃金総額のカット、補助金の削減や廃止、公的機関と民間企業のパートナーシップの強化、ヘルスケア改革である。だが実際には、これらの措置というのは、公共部門にかける費用を削減し、公共領域と考えられていた分野への民間部門の関わりを拡大させるということである。資本主義の世界において、公的サービスへ民間が投資するのは、それが確実に利益を生み出すとわかる場合のみにしか行われない。故に、資本主義の世界においては、再生不可能な天然資源を利用することでどれほど環境を破壊するか、あまりにも明らかなその証拠があるにも関わらず、それに投資が継続されていくのは完全に理にかなったことなのである。資本主義のマントラというのは、自由は常に個々人の責任・能力・勤勉から来るものなのである。そして、そこでは不平等が、どのような社会においても必要な部分として捉えられる。そして、競争はどのような点においても、歓迎されるものなのである。故に、ネオリベラリズムの世界においては、世界でたった1%の人のみが、6.9億人の2倍の冨を所有していることに関しても、問題ないと考えるのである。

 

COVID-19によって明らかになる、私たちの幸福のための公共部門の重要性

COVID-19によって、今日私たちが直面している/これから直面するであろう困難に対して、私たちの公共機関がどのように対応してきているかがわかる。公共部門の縮小による悪影響がどんなものであるかは、それを最も必要とする人々のことを考えればかつては明らかだった。例えば、社会給付金(これはたびたび合理化を図られ、削減されているが)によって少ない収入を埋め合わせている、不当に低い賃金で働いている労働者や、デイケアセンター(こちらの規模も絶えず縮小している)を経済的に利用できるかどうかで、お金を稼ぐために働けるかが決まる女性たち。公的医療制度へのアクセスが目に見えるほど縮小していく中で、民間の健康保険に加入することが経済的にできない人たちなど。そして、最も明らかなのは、このCOVID-19が流行する前から縮小されていく医療制度に苦しんできた、不当に低い賃金で働く医療従事者たちである。今日、様々な国で人々は医療従事者に賞賛を送り、かれらのたゆまぬ努力に感謝の意を示そうとしている。これは、モラルとしては素晴らしいことだ。しかし、医療スタッフに十分なほどの人員がいて、初めから用意周到に準備がされているのであれば、私たちの称賛など彼らは必要としないだろう。

公衆衛生の規模の縮小は、差別化を引き起こす影響を女性に及ぼしている。家族内における無償のケアのほとんどに従事している女性は、公的部門の縮小に伴い、その負担が増えてきていることを実感している。そして、ケアを必要とする何千もの入院患者や、家庭内で女性からケアを受けている人々に対して提供される、有償・無償のケアの大半のことを考えれば、この困難に対処する私たちの公衆衛生の体制に、かなりジェンダー化された側面があることが徐々に明らかになっているのである。

しかし、公共部門が縮小された状態で、今回のような困難に対して前もって適切に対処することができないのは、今日において誰にとっても明らかに違いない。例えば、個人経営のクリニックや、必要性の高い医療資機材や医薬品をもたらす産業といった民間のアクターなどは、それまでかなりの利益を上げてきた。その一方で、公共の利益に対して果たすべき義務をきちんと認知しておらず、政府からはその要請さえもなされていないのだ。ネオリベラリズムの思想は、公的機関など役立たずであるという意識を私たちの共通認識の中に植え込んでいる。しかしその一方で、私たちが享受すると教えられてきた民間機関による効率の良さなど殆ど目撃したことがないのだが。

 

物事は様々な形で成し遂げることができる

しかし、このような流れに逆らうことができた事例もある。例えば、スペインでは全ての民間病院や医療機関を一時的に国営化している。これは今回の大流行の前では、議論すら不可能だったことだ。しかし、これは理に適ったことなのである。公益というのは、私益よりも”常に”優先されなければならない。特に、このような危機下ではなおさらである。ではなぜ、危機的状況下におかれた時しか、医療を受けるのは公的な権利であり、公益だと理解されないのだろうか?そして、なぜ利益を等しく人々に分配することをいつも考えないのだろうか?

 

グローバルな規模での連帯の重要性

公衆衛生部門の縮小と負債の増加にも、相関がある。多額の負債を抱えている国々は、トロイの木馬かのように融資を利用している国際開発金融機関からの条件付き融資に時々直面する。この条件付きの融資のせいで、緊縮政策が進められるのである。そして、公的サービスの民営化は、政府がその融資を受けるのに思想的にも不偏不党であり、公平で、不可欠な方法だと主張されるのだ。ネオリベラリズムの核となる考え方が民間のアクターを第一に優先させるというように、サービスの民営化は、政府のもつ介入する力を弱体化させるのに大いに役立っている。そして、民営化を行い、公的支出を半減させることで、債務を返済することができるというわけだ。

国際開発金融機関、特に世界銀行と国際通貨基金は、ネオリベラリズムを推し進めるのに大きな役目を果たしている。これらの機関がどういった姿勢をとるかどうかが、COVID-19につけこむ“資本主義が招く災厄”のパワーに大きく影響を及ぼすのである。最近は、国際通貨基金が、ベネズエラが要求したアメリカドルにして5億円の融資を拒否した。ベネズエラは、このパンデミックに関係して、国の健康管理体制の規模をより強化しようとしていたのだ。ベネズエラの要求が拒否されたのは、ベネズエラの合法的な国の代表が誰か、国際通貨基金が定めることができなかったためである。思想の違いや、政治的競争から逃れることができないグローバルレジームの無力さは、既に危機に瀕している国には特に影響を及ぼすはずだ。最近の報道によると、人権と海外債権との影響に詳しい国連独立専門家であるジョアン・パブロ・ボホスラヴィスキーは、このような決断が人権の大幅な侵害に繋がり、国際機関やその意思決定者の説明責任が問われるだろうと主張した。誰が生き延び、誰が死ぬかという生殺与奪の権利を政治・経済的体制が決定するこの現状を変えるためには、国際金融機関が事業活動を行うことを許されているこの現状に変革を起こさなければならない。だからこそ、私たちは、その核となる原則として、グローバルな連帯を始めなければならないのだ。

 

ネオリベラリズムに代わる代替案は、存在している

パンデミックが進行していく中で、私たちは連帯の様々な在り方を目撃している最中だ。若い人たちは、グループで老人に食事を届けたり、かれらの犬を代わりに散歩させたりしている。また、本や料理のレシピや、ガーデニングのやり方や、その他、私たちのもつヒューマニティや共同体の重要さをこの危機下で証明する、日常の出来事を共有しているのである。他にも、いつもとは異なる出来事が発生している。映画館で映画を見たり、ヨガクラスに参加したりといった、以前までは料金が発生をしていたことが、今や無料だったり、今までとは異なるオンラインプラットフォームで広く放送されているのだ。教育に必要なツールは、いまや全員が利用可能となっているし、環境問題でさえも今は改善されている始末である。また、労働者の権利はもう一度労働者の手に戻ろうとしつつあり、有給の病気休暇や有給休暇、またその他の措置が保障されている。

これら全てが、ネオリベラリズムと搾取を越えた代替案と、その大きな可能性の証左となっているのだ。しかし、この素晴らしい連帯が行われていることが続くために必要なことは、この危機を乗り越えてこれらの連帯をさらに強め、それを私たちの経済と政治体制、そして私たちお互いの繋がりのちょうど中心に据えるような体制をつくりだしていくことである。

翻訳:戸室

原文はこちらから
COVID-19: What has COVID-19 Taught Us about Neoliberalism?

 

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